


キャンディーズは解散から長い月日がたっていますが、ベスト盤などのCD・DVDなどがいまだに発売され完売するほどの人気があります。
まだ日本のアイドル黎明期であったこともあり、キャンディーズはさまざまな実験的試みを成功させたため、現代のグループ系アイドルの源流として位置づけられていきます。
日本人が初めて体験するアイドルの時代は、当事者である彼女たちだけでなく、日本の芸能界もとってもまた手探りの時代だったと言えます。
古き良き時代だったと言えるかもしれません。
1970年代は日本のアイドルの黎明期で、大雑把に言えば「天地真理」「南沙織」「小柳ルミ子」などに始まり、「花の中三トリオ(森昌子・桜田淳子・山口百恵)」「キャンディーズ」「ピンク・レディー」などを経て「山口百恵」の引退で終わりを迎えます。
ここでは、そんな時代を振り返ってみることにしましょう。
キャンディーズ結成から下積み時代を経て、ヒットを連発し始めたころ、彼女たちはナチュラルに前代未聞のことをやってしまい、なおかつ最終的にはそれを大成功に導きます。
この記事では、1970年代中期という時代を代表するアイドル「キャンディーズ」に興味がある方のために、「キャンディーズ」の結成からお茶の間の人気者になるまで、そして、突然の解散宣言から解散後の「キャンディーズ」までを時代を追ってお話していきましょう。
この記事を読むことで、「キャンディーズ」と彼女たちが活躍した時代を偲ぶことができ、1970年代をいろどった「アイドル」「ミュージシャン」たちや、その時代の「歌謡曲」「流行歌」などにさらなる興味を持つことができるかもしれません。
この記事を読んでほしい人
- 「キャンディーズ」について興味があって知りたい人
- 「キャンディーズ」にはどんな「エピソード」があるのか気になる人
- 「1970年代アイドル」や「キャンディーズ」が好みの人
- 「キャンディーズ」の全シングルを聞きたい人
- 「懐メロ」や「1970年代ヒット曲」が大好きな人
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70年代中期における代表的アイドル
レコードデビューは1973年(昭和48年)であり、伊藤蘭(「ラン」デビュー時18歳、解散時23歳)、田中好子(「スー」デビュー時17歳、解散時22歳)、藤村美樹(「ミキ」デビュー時17歳、解散時22歳)がメンバーです。
3人とも仲がよく、解散までメンバーチェンジなどはしていません。
70年代のアイドル・グループとしては、社会現象を巻き起こし「怪物」とまで呼ばれた「ピンク・レディー」とともに、最も成功したと言ってもいいのではないでしょうか。
「キャンディーズ」という成功体験は、その後のアイドルの展開にも重大な影響を持ち、日本の芸能界にとっても貴重な宝となったと言えそうです。
■キャンディーズデビュー
「キャンディーズ」という名前は、 デビュー前の1972年(昭和47年)4月に、NHKの新番組「歌謡グランドショー」のマスコットガールとして3人揃って抜擢されたときに生まれました。
その番組のプロデューサーから「食べてしまいたいほどかわいい女の子たち」という意味で「キャンディーズ」と名付けられたと言われています。
デビューからしばらくはヒット曲はありませんでしたが、1975年(昭和50年)に発売した5枚目のシングル「年下の男の子」で初のオリコンベストテン入りを果たします。
以降、「ハートのエースが出てこない」「春一番」「暑中お見舞い申し上げます」などのヒットを立て続けにとばし、70年代中期を代表するアイドルとなりました。
また、「年下の男の子」の頃からファンも激増し、日本で初めて全国組織型ファンクラブ(「全国キャンディーズ連盟」いわゆる「全キャン連」)を持ったアイドルとしても名が知られています。
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■アイドルの時代の始まり
現代的な意味でのアイドルの成立は1971年の「天地真理」や「小柳ルミ子」「南沙織」などのデビューのときとされています。
特に天地真理の人気はすさまじく、テレビで天地真理の顔を見ない日はなく、街中で歌がながれて、レコードや関連グッズも飛ぶように売れました。
私は当時小学校低学年でしたが、天地真理の歌や映像をなんとなくですが記憶していますし、自宅にはいくつか自転車などの「真理ちゃんグッズ」があったように覚えています。
■女性アイドル・グループの源流
「キャンディーズ」は、それらの女性アイドルのあり方や流れを「女性グループアイドル」という枠に押し広げたという言い方ができるかもしれません。
「キャンディーズ」もまた、たくさんの音源や映像が日本中にながされ、数多くの関連グッズが大人気になりました。いまではお宝とされたり、プレミアが付くものもあるようですね。
こうして、現在の女性グループアイドルのあり方や手法にも通ずる、系譜の原点に「キャンディーズ」は位置することになっていきます。
誰がセンターをとっても歌えた!
キャンディーズの3人は、誰がセンターをとっても歌うことができました。
デビューからしばらくはスーがセンターであり、「年下の男の子」以降はランがセンターをとることが大半になります。
ミキは1曲しかありませんが「わな」でセンターをつとめており、「オリコン」で「週間3位」「1978年度年間30位」の大ヒットとなりました。
■グループで歌う意味を変えた?
事実上のラストシングルである「微笑がえし」では、センターを3人が交互にとることを振付におり込んで歌っています。
歌の最中にボーカルが入れ替わるのは、それまで見たこともなかったと思います。
今ではモーニング娘やAKBなど、そういうことをするアイドル・グループも普通にありますが、キャンディーズ以前はメインボーカルが固定されているのが不文律であり絶対であるとされた時代でもありました。
「ザ・ピーナッツ」などがいい例ですが、コーラスのように複数で同時に歌うことはあっても、メインボーカルがころころ入れ替わるというグループ歌手はいませんでした。
のちに「おニャン子クラブ」などに受け継がれ、「モーニング娘。」や「AKB」に至る「誰がセンターをとるか」というグループアイドルの重要な要素の1つは、「キャンディーズ」に源流があると言えます。
■現代のアイドルグループへ
また、「ラン」が赤色、「スー」が青色、「ミキ」が黄色とイメージカラーが決まっていました。
このイメージカラーを決めてそれを常時身に着けることで、ともすればグループの中に埋没してしまうのをうまく避ける工夫をしたのも、キャンディーズが最初です。
もう1つ言えば、「伊藤蘭」「田中好子」「藤村美樹」ではなく、「ラン」「スー」「ミキ」と、覚えやすく呼びやすいニックネームを公式プロフィールに使用したアイドルも「キャンディーズ」がパイオニアと言え、これ以後のアイドルグル-プはそれが標準になっていきます。
このあたりは、今でいえば「ももいろクローバーZ」などが顕著に受け継いでいますね。
キャンディーズのラストコンサートの始まりのときに、「ラン」「スー」「ミキ」がそれぞれ短いコメントを添えて自己紹介をし、「3人合わせて、キャンディ-ズですっ!」と言ってポーズをとっていますが、「ももクロ」が全く同じことをしてますよね。
「キャンディーズ」の残したものは、現在のアイドルたちにもしっかり受け継がれているようです。
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「ラン派」「スー派」「ミキ派」?
「キャンディーズ」は、異なる個性を持つ3人がそれぞれ魅力を引き出しあい、見ているものを飽きさせませんでした。
当時、私は小学校高学年でしたが、小学校では「ラン派」「スー派」「ミキ派」に分かれ、誰が一番いいのかということが話題にのぼったりしていました。
■3人の内1人でも好きならファン
「ランちゃん」は一番幅広く人気がありましたが、少し大人びた人たちからの支持が多かったように思います。
「スーちゃん」は子供からの人気が絶大であり、「ミキちゃん」は少し個性派の人たちから好まれていたようです。
大人っぽい美人のおねえさんであった「ラン」、マイペースでおっとりした親しみやすさを持つ「スー」、知的で繊細な印象ながらも元気いっぱいの「ミキ」という3人の個性の混ざり具合が絶妙で、それが「キャンディーズ」を幅広い層の人たちに受け入れさせた理由だったでしょう。
そのため、どんな人でも「好み」がラン・スー・ミキのタイプのどれかに当てはまることになり、3人がそれぞれ獲得したファンが合わさってキャンディーズ・ファンのかたまりに加わり、それがグループ全体の人気をさらに押し上げていきました。
つまり、ファンが入れる入り口が「キャンディーズ」というグループ全体からの入口のほかに、ラン・スー・ミキという個々のメンバーからの入口もあり、それだけ入口の数や間口が広がってファンが入りこみやすくなっていたということです。
のちに、ファンが望む「好み」が細分化され、より意識してシステム化されていったのが、「おニャン子クラブ」「モーニング娘」「AKB48」などのアイドルの流れであったとも言えます。
■「推しメン」の原点に!
イメージカラーやニックネームなどで、子供でも分かるように3人の区別をしやすくしたことも、グループとしてのまとまりと同時に、個性を可視化するのに役立ちました。
これは単にテレビやコンサートで3人を区別しやすくするだけでなく、私は3人のうちでこのコがいいという議論をしやすくする素地を作り出したと言えます。
この「誰が一番いいのか」をファン同士が語り合い、グループとして応援しながらも、自分の好きな人を押していくというスタイルは、現在では「AKB」などが有名になっています。
しかし実は、グループアイドルとして重要なその要素も、「キャンディーズ」がもとネタになっていると言えます。
もしキャンディーズがいなければ、その後のアイドルたちの展開や「ありよう」は、今とは違ったものになっていたかもしれません。
お茶の間で大人気に!
「キャンディーズ」はバラエティ番組にも積極的に出演し、大勢のコメディアンたちの向こうを張って渡り合い、お茶の間の心をわしづかみにしました。
「キャンディーズ」が出演していた「8時だョ!全員集合」や「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」などは私の大好きな番組で、毎回テレビにかじりついて見ていました。
「電線音頭」は今でも踊れます。
■バラエティの素質ありすぎ!
バラエティの素質は3人とも相当あったようで、のちにドリフターズや伊東四朗などはそれぞれインタビューの中でキャンディーズを絶賛しています。
当時のアイドルはどちらかと言えばお人形のようなもので、ただニコニコしているだけだったり、「やだぁー」とか言って恥ずかしそうにしているだけの人たちが多かったと言います。
ましてや、ドリフターズなど一流コメディアンと同じレベルで積極的にお笑いにからんで、笑いをとりにくるようなアイドルは皆無でした。
「キャンディーズ」が出演したコントは、今見てもけっこうオモシロイと思いますよ!
■バラドルとしてもパイオニア的
現在では、バラエティに積極的なアイドルもたくさんいますが、この点から見ても、キャンディーズがパイオニアだったと言えそうです。
80年代に入ると、お笑いにアイドルが積極的にからんでいくようになりますが、キャンディーズがいなければ、その流れも変わっていたかもしれません。
歌だけを歌っていたのではないというところも、キャンディーズがいまだに多くの人に魅力的に感じられている理由でしょう。
他ジャンルのアーティストとの交流
「キャンディーズ」のヒット曲「やさしい悪魔」や「アン・ドゥ・トロワ」を作曲したのは、吉田拓郎でした。
吉田拓郎はニューミュージック系のパイオニア的なミュージシャンで、彼がいなければ現在の「J‐POP」は違ったものになっていたとも言われる人です。
ニューミュージックは、1980年代に入ると全盛を迎えますが、簡単に言えば「フォークソング」と「ロック」の融合したもので、さらに「ニューミュージック」と「歌謡曲」が融合して現在の「J‐POP」に至ります。
「キャンディーズ」は、既に成功している他のジャンルの現役ミュージシャンやシンガーソングライターに曲を書いてもらってヒットさせた、1970年代の大きな成功例の1つとなりました。
山口百恵が「横須賀ストーリー」の大ヒットで「歌謡ロック」をものにしたように、じつは結構むずかしいと言われる「楽曲」や「イメージ」の幅を広げることに成功しています。
解散宣言が与えた衝撃!
順調にヒットを重ねて人気絶頂になりつつあった1977年の夏に、「キャンディーズ」は突然解散を宣言します。
突然の解散宣言は、「キャンディーズ」の3人にとって思いもよらぬ方向へ転がっていきます。
この無作為の作為が結果的に大成功したことによって、「キャンディーズ」は「昔人気があった人たち」で終わらずに、現代まで人々の記憶に残る伝説的なアイドル・グループになりました。
解散宣言は、まさにその瞬間であったと言えそうです。
言い換えれば、現在見られるようになった「主張するアイドル」の走りであり、そこにつながる源流とも考えられるでしょう。
■突然の解散宣言
7月17日の日比谷野外音楽堂のコンサートのエンディングで、突然3人は涙を流しながら、「私たち、皆さんに、謝らなければならない事があります!」(ラン)、「ごめんなさい!」(ミキ)、「許してください!」(スー)と、それぞれがファンに対して涙ながらに謝罪し、それから「私たち、今度の9月で解散します」と宣言したため、会場内は騒然となりました。
この解散宣言は、レコード会社にも事務所にも、どこにも相談などはされておらず、彼女たち3人のまったくの独断で発表されました。
この当時は、アイドルはある意味でレコード会社の人形的な存在であり、無断で解散宣言などをするのはありえませんでしたが、彼女たちはそれをあっさりとやってのけました。
別に狙ってやったわけではなく、素直な気持ちだったんでしょう。
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■解散宣言のワケ
当時キャンディーズの人気はのぼり調子で、スケジュールも過密になってきており、精神的にも肉体的にもだんだん追い詰められてきていたようです。
また、彼女たち自身が結成当初から「3年間は個人を捨てて、キャンディーズに賭けよう!がむしゃらにやろう!」と決めていたと言われており、デビューから3年たったとき「ファンのためにもう1年がんばろう」と思い、解散を先に延ばしたという経緯がありました。
キャンディーズの曲を多く手掛けた穂口雄右が、のちに証言したところでは、結成してまだ間がないころから、3人はレッスンの場で「一番いい時に解散しようね」と誓いあっていたとか。
そうしたことを考え合わせると、ラン、スー、ミキが「キャンディーズ解散」という結論に行き着くのは、「突然」ではなく、ごく自然なことだったのかもしれません。
1973年(昭和48年)9月「あなたに夢中」でレコードデビューしてから、もうすぐ4年目を迎えようという時期の解散宣言でした。
3人は、解散宣言をしたときには9月末限りで解散するという意思を固めていましたが、事前に所属事務所の正式な了解を得ずに独断で解散を発表したということもあり、事務所の説得に応じて、解散は半年間だけ先送りされることになりました。
■解散宣言でさらに人気者に!
この電撃的な解散宣言からキャンディーズの人気は全国的に沸騰し、さらに急上昇します。
この解散宣言のときにランが絶叫した「普通の女の子に戻りたい!」というセリフは、当時流行語になりました。
キャンディーズ以後は主張するアイドルはたくさん例がありますが、そのさきがけとなり、成功例にもなったのはキャンディーズであると言えます。
おそらくキャンディーズが先例になったのでしょうが、それからしばらくした1980年の3月、山口百恵が人気絶頂のなか結婚と引退を発表しています。
ファンと一体で作り上げた花道!
「キャンディーズ」は解散を宣言することによって、さらにその人気を盛り上げたと言えますが、このような解散の仕方をしたアイドルグループはこれ以前にはなく、これ以後もないのではないのでしょうか。
■事実上のラストシングルで初1位
「キャンディーズ」は、それまで発表したシングルが1位を獲得したことが一度もなかったので、ファンや関係するスタッフが解散までには1位を獲得させたいと、必死の後押しをしました。
ファンやスタッフの寝食をわすれたサポートの甲斐あって、ラストシングル「微笑がえし」は初めての1位を獲得します。
まさに一丸となって勝ち得た貴重な1位でした。そして、その勢いのままに、伝説の解散コンサートを迎えます。
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■伝説の解散コンサート
1978年(昭和53年)4月4日、当時は空前の観客数であった5万5千人を後楽園球場に集め、お別れコンサートとしては「ザ・ピーナッツ さよなら公演」以来2例目となる、キャンディーズ「ファイナルカーニバル」が行われました。
後楽園球場でコンサートを開いたのは、女性の歌手グループでは、「キャンディーズ」が最初です。
このコンサートは4月7日にTBS系列で全国にテレビ放映され、関東地区で平均視聴率32.3%という、単独のアーティストによる音楽番組としては歴代1位の高視聴率を獲得しています。
当時小学生だった私もそれをテレビで見ていた記憶があります。
コンサートの最後にランがファンに向かって言った「本当に私たちは幸せでした!」という印象的な言葉も有名になりました。
結成当初の頃より彼女たち3人が望んでいた「最高の状態で解散する」という、念願がかなった瞬間でもありました。
■キャンディーズとは何だったか
こうして、キャンディ-ズは結成から6年、デビューから数えると、わずか4年半の活動に幕を引きました。
「キャンディーズ」とは、もちろん本来は「ラン」「スー」「ミキ」の3人で構成するグループアイドルの名前です。
しかし、これに3人を支えたスタッフや全国のキャンディーズファンが一体となった大きなムーブメントそのものが「キャンディーズ」だったという言い方もされています。
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普通の女の子にはもどれなかった?
そうまでして、引退した3人でしたが、しばらくして3人とも別々に芸能界に復帰しています。
しかし、キャンディーズ復活を求める声は絶えずありましたが、どんなに水を向けられても、3人は決してキャンディーズ再結成だけはしませんでした。
そのことは、大事なものを示唆しているかもしれません。
同時代に活躍して、なにかとよく比較された「ピンク・レディー」とは、対照的な軌跡をたどることになりました。
■ランの場合
「ラン」は、1980年(昭和55年)に復帰し、俳優・歌手の水谷豊と1989年(平成元年)に結婚しました。
キャンディーズ解散以後は歌の道には進まず、女優として成功をおさめ、「テレビ」「映画」「Webドラマ」「CM」「ラジオ」「ナレーション」などで、幅広く活動していました。
復帰会見ではレポーターに大分いじめられてましたね。承知の上で復帰したんだろうけど、ちょっとかわいそうでした。
その後、順調に女優としての実績を重ねています。
女優として芸能界復帰したものの、長い間、歌手に戻らなかったのは一種のケジメの気持ちがあったのかもしれません。
2013年(平成25年)8月公開の妹尾河童の長編小説「少年H」の映画版で、夫の水谷豊とテレビドラマ「事件記者チャボ!」以来28年ぶりに共演し、夫婦役を演じて話題になりました。
この映画は、第35回モスクワ国際映画祭のGALA(ガーラ)部門で特別作品賞を受賞しました。
女優として大活躍した「スーちゃん」に負けない「売れっ子女優」「名女優」となったと言えると思います。
一人娘の趣里(しゅり)も、女優となりました。
結構よく似てたので、初めて写真を見たとき「(ランちゃんに)そっくり・・・」と声に出してしまいました。
2019年(令和元年)5月29日、ソロデビューアルバム「My Bouquet」を発表し、キャンディーズ解散以来41年ぶりの歌手活動を再開しました。
64歳でのソロデビューとなりましたが、あの「ランちゃん」が音楽シーンに帰ってきたのは喜ばしい限りですね。
肩のチカラがほどよく抜けて、こだわりが取れたのかもしれませんね。
2019年(令和元年)6月11日には、キャンディーズ解散の地である、「東京ドームシティホール」でソロコンサートをしています。
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■スーの場合
「スー」は、1980年(昭和55年)5月に復帰して、やはり女優として活動しました。
その人柄もあってか、復帰後すぐに、「テレビドラマ」「映画」をはじめ「CM」「バラエティ番組」「舞台」など、ブランクを感じさせない活躍を始めます。
また、一時期「ソロ歌手」として復帰し、「音楽活動」も並行して行っていました。
1984年(昭和59年)に、アルバム「好子」をリリースして「カボシャール」というシングルを出しているほか、1989年(平成元年)には、「田中好子&五木ひろし」の名義で「二枚目酒(居酒屋パートII)」を発表しています。
しかし、歌手としてよりもむしろ「女優」として大成し、1989年(平成元年)公開の「黒い雨」で、主役を演じて、「日本アカデミー賞」「ブルーリボン賞」「報知映画賞」「毎日映画コンクール」「キネマ旬報賞」などで「主演女優賞」を受賞しました。
1991年(平成3年)に夏目雅子の兄と結婚。
その後も、「家なき子」やNHK連続テレビ小説「ちゅらさん」など、テレビや映画の人気作品にはひっぱりだことなり、なくてはならない存在感のある「売れっ子女優」「名女優」へと成長していきました。
CMも人気が高く、そうめん「揖保乃糸」のCMは、1992年(平成4年)から19年にわたり起用され続けた人気CMでしたね。
結婚翌年の1992年(平成4年)に乳がんが発見され、女優業のかたわら、長い闘病の末2011年(平成23年)4月21日に55歳で乳がんのため他界しています。
闘病しながらの女優業はかなりつらかったはずですが、治療のつらさをまったく感じさせませんでした。
危篤になったとき、親族の計らいでランもミキも病室に通されて、亡くなるまで枕元で7時間も名前を呼び続けたそうです。
葬儀には私も一般弔問客として青山に参列させていただきました。ご冥福をお祈りします。
病床で録音した肉声が葬儀の最後に流されましたが、自分自身が死の床にあるのにもかかわらず、東日本大震災で被災した方々の心配をしていましたね。
とてもやさしい人柄だったのが偲ばれます。
亡くなってから大分たちますが、いまだに人気があり、今でも公式ホームページは運営されているようです。
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■ミキの場合
「ミキ」は、1983年(昭和58年)にソロ歌手として短期間だけ復帰します。
カネボウの春のキャンペーンソングとして「夢・恋・人」を発表し、見事「ザ・トップテン」で10位にランクインして、ブランクを感じさせずヒットソングをとばしました。
その後まもなく結婚して以来、芸能界の表舞台には一度も出ていません。
3人のお子さん(1男2女)がおり、長女の尾身美詞(おみみのり)が、劇団「青年座」などで舞台女優として芸能活動をしているようですね。
ほかの2人のお子さんも演劇に関わっているようです。
2011年4月25日にスーの葬儀に出席し、久しぶりに公の場に姿を見せました。
このとき私も、遠くからですが、ランといっしょに青山葬儀場に入ってくるのがみえました。
生涯の友を亡くし、かなりご心痛なようすが見てとれ、立っているのもつらそうな感じが伝わってきました。
この葬儀で、ランとミキはそれぞれ思いのこもった弔辞を読みあげています。
彼女たち3人にとってもまた、キャンディーズがどれほど大切なものだったのかということの答えが、その弔辞の中にあるのかもしれません。
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キャンディーズの全てのシングル
キャンディーズのシングルは全部で18枚(解散後発売された「つばさ」を含む)です。そのなかでベストテン以上のヒットソングが8枚あります(オリコンチャートによる)。
実質上のラストシングルになった「微笑がえし」で1位をとっていますが、1位になったのはこの1枚のみです。
当時を思い返してみると、キャンディーズの顔を見ない日はなかったような気がしていて、もっと売れていた印象があったんですけどね。
「ハートのエースが出てこない」や「哀愁のシンフォニー」がベストテンには入っていないというのは、ちょっと意外でした。
1)【あなたに夢中】
最高位36位
(センター:スー)
1973年 9月 1日
2)【そよ風のくちづけ】
最高位39位
(センター:スー)
1974年 1月21日
3)【危い土曜日】
最高位46位
(センター:スー)
1974年 4月21日
4)【なみだの季節】
最高位40位
(センター:スー)
1974年 9月21日
5)【年下の男の子】
最高位9位
(センター:ラン)
1975年 2月21日
6)【内気なあいつ】
最高位18位
(センター:ラン)
1975年 6月 1日
7)【その気にさせないで】
最高位17位
(センター:ラン)
1975年 9月 1日
8)【ハートのエースが出てこない】
最高位11位
(センター:ラン)
1975年12月 5日
9)【春一番】
最高位3位
(センター:ラン)
1976年 3月 1日
10)【夏が来た!】
最高位5位
(センター:ラン)
1976年 5月31日
11)【ハート泥棒】
最高位17位
(センター:ラン)
1976年 9月 1日
12)【哀愁のシンフォニー】
最高位12位
(センター:ラン)
1976年11月21日
13)【やさしい悪魔】
最高位4位
(センター:ラン)
1977年 3月 1日
14)【暑中お見舞い申し上げます】
最高位5位
(センター:ラン)
1977年 6月21日
<突然の解散宣言>
15)【アン・ドゥ・トロワ】
最高位7位
(センター:ラン)
1977年 9月21日
16)【わな】
最高位3位
(センター:ミキ)
1977年12月 5日
17)【微笑がえし】
最高位1位
(センター:交互)
1978年 2月25日
18)【つばさ】
最高位16位
(センター:ラン)
1978年11月21日
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この記事のまとめ
- 「キャンディーズ」は1970年代中期を代表するアイドルで、現代のアイドルグループの源流
- 誰がセンターをとってもいいほど3人とも歌唱力は高く、今でいう「推しメン」の原点にもなる
- 同時期の他の歌手たちよりも「バラエティ」の素質があり、コメディアン同様に笑いが取れた
- 人気絶頂における「突然の解散」を、さらなる全国的な人気につなげ、伝説的アイドルになった
- 解散後にそれぞれのスタンスで芸能界に戻って活躍したが、「再結成」は最後までしなかった