ルルルル

「九星気学」とか「方位学」って、「吉方位」に移動するだけで「運気アップ」できるの?

ミイミイ

カンタンに「運気アップ」できるなら、やってみたいな

ココココ

じゃあ、「九星気学」「方位学」について、どんなものなのか「さわり」だけお話してみようか

 自分の運を、自ら何かをすることで積極的に上げようとする方法は、知名度の高いものでは「風水・パワースポット」「神頼み」「気学・方位学」などがあります。

自分から積極的に「運」をつかみに行く方法が分かれば、例え「運の悪さを感じた」としてもそんなに悲観することはないですよね。

「気学・方位学」は、この3つの中でも少し敷居が高い感じがしますが、吉凶を得るための仕組みが分かってしまえばそれほど難しく考えることもしなくて済みそうです。

この記事では、「気学・方位学」を活用して自分から積極的に開運したいという方のために、「気学・方位学」を始める前に知っておいた方がいいポイントについて一通りお話していくことにしましょう。

この記事を読むことで、「気学・方位学」についての前提の知識が分かり、「運」という不可思議な扉を開く最初の一歩になるかもしれません。

この記事を読んでほしい人

気学や方位学に興味や関心がある人

自分から積極的に運を開きたいと思っている人

運気アップのために気学や方位学を活用したい人

気学や方位学のことをよく知らない人

運気アップのためにどんな方法があるのか探している人

【開運】気学の移動距離・滞在時間の有効範囲と便利なツール

方位の不可思議

 「気学」または「九星気学」とは、中国古代の思想である「九星術」と「陰陽五行」「十干・十二支」や、中国の魔方陣である「洛書」、吉神・凶神などの「方位神」といった「中国の暦法」の要素をもとに、1924年に園田真次郎という占術家が創始した、日本が発祥の占術です。

「九星」を使用していろいろな事象を占い、方位や移動の「吉凶」を占断していきます。

「陰陽五行説」や「道教」などの中国古代の思想から派生し、朝廷の公的な学問として「仏教」や「神道」を取り込みながら独自に発展した、日本固有の呪術的学問の体系である「陰陽道」とも、共通点が多くあるようです。

現在の日本では、最も人気のある占いの1つですが、中国や台湾などでは「紫微斗数」や「四柱推命」などの占いが大人気であり、「気学」の知名度は高くありません。

「九星術」とは別のものですが、「気学」が「九星術」をベースに発達したものであるので、「九星術」のことを「気学」という呼び方をしたりもします。

「生年月日」により、「一白」「二黒」「三碧」「四緑」「五黄」「六白」「七赤」「八白」「九紫」のそれぞれの九星に分類し、それをもとに、「年」「月」「日」「時間」と「方位」による移動の「吉凶」や「九星」同士の「相性」などが占われます。

「気学」で重要になる5つの変化する要素は、「本命星・月命星の算出」「移動予定日時の各方位盤の吉方位・凶方位の割り出し」「出発点(自宅)から移動する場所への方位の算定」「(自宅から)移動する場所までの直線距離」「移動する場所での滞在時間」です。

それに加えて、「滞在先でどのように過ごすか」とか「良い気の場所(パワースポットなど)に行くかどうか」「ひとりで行くのか複数で行くのか」などが係わってきます。

良い方位である「吉方位」、悪い方位である「凶方位」はいつも一定ではなく個人個人で違い、さらに日時や年月の経過により刻々と変化していくので、それらの「吉凶」を把握した上で方位への移動をするのがポイントと言えます。

「特定の時間」に「特定の方位」へ、ただ移動するだけで「大吉」になったり「大凶」になったりするのは、とてもおもしろいと感じますけど、ちょっと不思議な気もしますね。

陰陽五行説について

【陰陽五行説】

■「いんようごぎょうせつ」と読む

■「陰陽五行説」または「陰陽五行思想」とも言われる

■「陰陽五行説」は、「陰陽説」と「五行説」を組み合わせて作られたもので、「陰陽説」と「五行説」はそもそも共に無関係であり、中国の春秋戦国時代に生まれたという

■伝説では、「陰陽説」は古代中国神話に登場する帝王「伏羲(ふくぎ)」が作り出したもの、「五行説」は夏の創始者「禹(う)」が発案したものとされている

■「陰陽説」と「五行説」は漢の時代に合流して「陰陽五行説」として大進化し、当時のあらゆる学問に応用されて中国の古代文化を形成し、特に「天文学」や「暦学」「八卦(占い)」においては「陰陽五行説」の影響ははかりしれないと言われる

■「陰陽五行説」は、「陰陽説」と「五行説」とが組み合わさることによって、より複雑な事象の説明ができるようになり、「陰陽道」の占術などにも用いられた

■「陰陽説」とは、あらゆるものに「陰陽」の二元的原理を立てる説

■「陰陽説」によれば、互いに相反する性質を持った二種類の「気」がお互いに作用し合うことで森羅万象の様々な物事が作り出されるという

■「五行説」とは、古代中国に端を発する自然哲学の思想で、万物は「五行」という5種類の元素からなり、五つの概念を組み合わせることにより、すべての存在や現象を解釈し、意味付けをしていく説

■「五行説」によれば、すべての「気」は「木」「火」「土」「金」「水」の五つに分類され、その五つの気の働きによって万物が生じると言われる

■「五行説」では、5種類の元素は「互いに影響を与え合い、その生滅盛衰によって天地の万物が変化し、循環する」としている

■五気の循環によって物事は変化するが、循環の順序や関係性に「相克」と「相性」の二種類があるという

■「五行説」は、自然現象の四季変化を観察し抽象化された概念で、「自然現象」「政治体制」「占い」「医療」などあらゆる分野の背景となる「性質」「周期」「相互作用」などを説明し、単に5種の基本要素というだけでなく、変化の中における「状態」「運動」「過程」という見方もされた

■「陰陽五行説」の「暦」や、それをもとにした占いは、「立春」を一年の始まりとしており、月の始まりも1日ではなく、「二十四節気」のうち月の前半に来る十二の節が月の始めの「節入り」となる

■「陰陽五行説」の基本は、「木(もく)」「火(か)」「土(ど)」「金(ごん)」「水(すい)」の「五行」にそれぞれ「陰陽」二つずつ配されることで、基本原理が構成されている

■「五行」にそれぞれ「陰陽」が割り振られて、「十干(じっかん)」となる

■「十二支」にも「五行」と「陰陽」が配されている

■季節に対応する「五行(五時/五季)」は、「春」が「木」、「夏」が「火」、「秋」が「金」、「冬」は「水」、「土」は「四季それぞれの最後の約18日(土用)」となる

■「十二支」の「陰陽」は、「子」から順に数えていき、奇数番目は「陽」、偶数番目は「陰」となる

■「十干」と「十二支」が組み合わさる場合、「陰」と「陽」の組み合わせはなく、「陽」と「陽」、「陰」と「陰」の組み合わせのみとなるため、「10×12=120」ではなく、半分の「60通り」となる

■日本には、「仏教」「儒教」と同時期の5~6世紀に、「暦法」「陰陽道」などとともに伝わったとされる

■日本伝来後、律令制による「陰陽寮」という官が設置され、その後、「陰陽五行説」を元にした「陰陽道」に「道教」の「道術」などを取り入れながら、日本独自の「陰陽道」へと発展をみせる

九星について

【九星】

■「九星」とは、古代中国から伝わる民間信仰で、「一白」「二黒」「三碧」「四緑」「五黄」「六白」「七赤」「八白」「九紫」の9つのこと

■「九星」と呼ばれるものは世界中に何種類かあり、それぞれ別モノ

■「一白」「二黒」「三碧」「四緑」「五黄」「六白」「七赤」「八白」「九紫」の「九星」は、「紫白九星」や「七色星」という名称でも呼ばれる

■「九星」は、1から9までの数を1回ずつ使う3×3個の「魔方陣」が起源となっていて、縦・横・斜めのいずれの列についても3つの数字の和が15になる

■「九星」の由来となった「魔法陣」の数字の配列が、のちに「後天定位盤」に発展していく

■この「魔法陣」の数字に「白」「黒」「碧」「緑」「黄」「赤」「紫」の7色と、「木」「火」「土」「金」「水」の五行、「十干十二支」、「易学」の「八卦」を当てはめて、この数字が順に回座して場所を変えていくようにし、それに解釈を加えて「九星」が作られた

■伝承では、夏王朝を創始した「禹(う」」が洛水を通りかかった時、川の中から飛び出た神亀の甲羅に描かれた模様からこの魔方陣を思いついたと言われている

■この伝承から、「九星」となった「魔方陣」のことを、洛水の書「洛書(河図洛書)」と呼んでいる

■日本の「陰陽道」では、「九星」に「木」「火」「土」「金」「水」の五行や「十干十二支」「八卦」を割り当てて「九星図」を作成し、人の「生年月日」や「方位」をよりどころに「運勢」や「方位の吉凶」を占う

■「九星」は、「天文学上の星」とはまったくの無関係である

■「九星」には「白」の星が3つと「紫」の星が1つあり、これらは「吉の星」とされ「三白九紫」と総称された

■平安時代には、「三白九紫」の星は、その当時代表的な凶神であった「大将軍」や「金神」の「凶作用」を抑えることができるとされていたが、現在の「気学」では、そのようには考えられていないようである

■「九星」同士の関係性は、「五行説」を元に「相生」「相剋(相克)」「比和」「相乗」「相侮」の5種類の性質に分けられる

■「九星」は、「十干十二支」などと同様に「暦」に関係が深く、「年」「月」「日」「時刻」にそれぞれに割り当てられている

十干について

【十干】

■「じっかん」と読む

■「十干」は、古代中国で考えられ、日本に伝えられた、「暦」の表示などに用いられる属性要素のこと

■「甲(こう)」「乙(おつ)」「丙(へい)」「丁(てい)」「戊(ぼ)」「己(き)」「庚(こう)」「辛(しん)」「壬(じん)」「癸(き)」の10の要素からなる

■「陰陽五行思想」から、これらの要素を「陽」「陰」と「木」「火」「土」「金」「水」の各属性を「十干」のそれぞれに当てはめて、分類している

■日本では「陽」を「兄(え)」、「陰」を「弟(と)」と考えられた

■訓読みでは、「甲(きのえ)」「乙(きのと)」「丙(ひのえ)」「丁(ひのと)」「戊(つちのえ)」「己(つちのと)」「庚(かのえ)」「辛(かのと)」「壬(みずのえ)」「癸(みずのと)」と読まれる

■「十干」の元々の意味は、「生命の消長循環の過程」を分説したものと言われており、「五行」や「十二支」とは直接的な関係はない

■「十干」では、「甲」と「己」、「乙」と「庚」、「丙」と「辛」、「丁」と「壬」、「戊」と「癸」の組み合わせにおいて、2つの「干」の間に密接な関係があるとされ、これらの2つの「干」が出会うと合わさって一体となるとされており、これを「干合」と呼ぶ

■「十干」は「五行説」によって「五行」があらわす「五方」と結びつけられ、後に「十二支」や「八卦」を交えた、さらに細かい「二十四方」が用いられるようになる

■「干合」の関係から「徳神」が決められ、「陽の干」は自らが「徳神」、「陰の干」は「干合する干」が「徳神」となる

■「恵方」は年の「干」の「徳神」が指す方角として、年の「十干」によって決められる

■「十干」は、ものの「階級」「等級」「序列」や「順番」「種類」を示すために使われることもある

■法的な議論における「登場人物の仮名」や、契約書などにおける当事者その他の者の「氏名あるいは名称の略称」としても「十干」が使われる

■日本では、漢文の訓読の「返り点」としても用いられた

■「暦」では、「十干」で1か月を10日ごとに区切って、3つに分け、上旬、中旬、下旬という言い方の由来となった

■古代中国では、10個の太陽が存在してそれが毎日交代で上り、10日で一巡りすると考えられており、「十干」はそれぞれの太陽につけられた名前で、太陽が10日で一巡りすることを「旬」と呼ぶようになったと言われている

十二支について

【十二支】

■「十二支」は、古代中国で考えられ、日本に伝えられた、「暦」の表示などに用いられる属性要素のこと

■「子(し)」「丑(ちゅう)」「寅(いん)」「卯(ぼう)」「辰(しん)」「巳(し)」「午(ご)」「未(み)」「申(しん)」「酉(ゆう)」「戌(じゅつ)」「亥(がい)」の12の要素からなる

■「十干」と同じく、「陰陽五行思想」から、これらの要素を「陽」「陰」と「木」「火」「土」「金」「水」の各属性を「十二支」のそれぞれに当てはめて、分類している

■日本では、「子(ね)」「丑(うし)」「寅(とら)」「卯(う)」「辰(たつ)」「巳(み)」「午(うま)」「未(ひつじ)」「申(さる)」「酉(とり)」「戌(いぬ)」「亥(い)」と訓読みで表現するのが一般的

■「十二支」は中国の春秋戦国時代に作られた「陰陽五行説」よりもはるかに古い起源をもつので、「陰陽五行説」による説明は後付けに過ぎず、占いの要素としての設定にすぎないと言われている

■「十二支」の元々の意味は、「十干」同様に「生命の消長循環の過程」を分説したものいう説もあるが、中国の後漢時代の同音漢字からの連想や、「干支」を幹や枝と解釈したことから生まれた植物的な連想によるもの

■「十二支」は中国の殷王朝では「十干」と組み合わされて「日付」を記録するのに利用されている

■中国の春秋戦国時代以降になると、「日」だけでなく、「年」「月」「時刻」「方位」の記述にも利用されるようになる

■春秋戦国時代の中国天文学において天球の分割方法の一つであった「十二辰」は、天球を天の赤道帯に沿って東から西に十二等分したもので、名称には「十二支」が当てられるなど、「十二支」は中国古代の「天文学」と深い関わりがある

■BC4世紀ごろ、木星が約12年で天球を西から東に一周することから天球を十二分割し、東から西へめぐる「十二辰」の方向に合わせるため、木星とは逆回りに天球を巡る「太歳」という架空の星を考え、「太歳」の「十二辰」における位置で年を示す「紀年法」が使われるようになったが、これが後漢以後から現在まで使われている「干支による紀年法」の起源

■12という数が1年の月数と同じであることから、「月」を表すのにも用いられるようになり、「冬至」を含む「月」が「子の月」と決められて、順に当てはめられた

■「時刻(十二時辰)」や「方位」の表示にも用いられるようになり、「正午(昼の12時)」「正子(夜の12時)」「子午線(南北を結ぶ線: 経線)」「卯酉線(東西を結ぶ線で緯線とは別のもの)などの呼称の由来ともなった

■「十二支」の元々の意味はじつは不明であり、草木の成長における各相を象徴したものとする説もあるが、これは漢の時代の字音による解釈説に過ぎない

■日本では、「十二支」という言葉で十二の動物を指すことが多い

■何故か「十二支」には、古代から人間に馴染みのあった動物であるはずの「猫」が含まれていない

■日本では、人々がその生まれ年の干支によって、「ねずみ年の生まれ」のように年齢を表現する習慣がある

■年齢差や年代差などの表現として、「十二支」に因んで、12年をひと回りと考える習慣もある

■「方位」の表現では、「十二方位」を「北」から時計回りに「十二支」を配置するが、「八方位」の場合、「北東」「南東」「南西」「北西」はそれぞれ「うしとら」「たつみ」「ひつじさる」「いぬい」と呼ばれ、該当する八卦から、「艮」「巽」「坤」「乾」の字を当てる

■「十干」の関係性が「干合」だけなのに対して、「十二支」の関係性はもっと複雑だが、大きく分ければ、「十二支」に中の「3つが関係する関係性」と、「2つが関係する関係性」とに分かれる

■「十二支」中の3つの相互関係には、「方合」と「会局(三合会局)」の2つがある

■「方合」とは、「東」「西」「南」「北」の四方(つまり春夏秋冬の四季でもある)に対応する三支が全て揃うことで、「方合」の三支が揃うと、全てが季節の「五行」に変化する

■「方合」において、「東」は「春」をあらわし、対応する「十二支」は「寅」「卯」「辰」、「五行」は「木」である

■「方合」において、「南」は「夏」をあらわし、対応する「十二支」は「巳」「午」「未」、「五行」は「火」である

■「方合」において、「西」は「秋」をあらわし、対応する「十二支」は「申」「酉」「戌」、「五行」は「金」である

■「方合」において、「北」は「冬」をあらわし、対応する「十二支」は「亥」「子」「丑」、「五行」は「水」である

■「会局(三合会局)」とは、「十二支」を円形に配置したとき、正三角形を構成する三支が全て揃うことで、正三角形は4つあり、それぞれ「木局」「火局」「金局」「水局」と呼ばれる

■「局の五行」は、各季節の中心である、「卯」「午」「酉」「子」の「五行」と同じとされ、「会局(三合会局)」が成立すると「三支全ての五行」が「局の五行」に変化する

■「気学」の「三合法」は、「会局(三合会局)」の関係性に基づいて構成されている

■「会局(三合会局)」となる三支のうち、2つが揃うことを「会」と呼ぶことがある

■三支が全部揃わなくても、「各季節の中心」の「十二支」と「会」となる「十二支」の2つが揃うことを「半会」と呼ぶこともある

■「会局(三合会局)」において、「木局」は「春」をあらわし、対応する「十二支」は「亥」「卯」「未」、「五行」は「木」である

■「会局(三合会局)」において、「火局」は「夏」をあらわし、対応する「十二支」は「寅」「午」「戌」、「五行」は「木」である

■「会局(三合会局)」において、「金局」は「秋」をあらわし、対応する「十二支」は「巳」「酉」「丑」、「五行」は「金」である

■「会局(三合会局)」において、「水局」は「冬」をあらわし、対応する「十二支」は「申」「子」「辰」、「五行」は「水」である

■「十二支」中の2つの相互関係には、「刑」「沖(衝)」「破」「害」「合(支合、六合)」の5種類があるが、これは「五行」における「相生」「相剋(相克)」「比和」などの関係性に設定がよく似ている

■「十二支」の相関関係は、本来は「年」「月」「日」「刻」や「方位」などの間に生ずるものであり、生まれ年の「十二支」同士による相性をさすものではなかった

干支について

【干支】

■「えと」「かんし」と読み、「十干十二支(じっかんじゅうにし)」「六十干支(ろくじっかんし)」「天干地支(てんかんちし)」とも言われる

■「十干」と「十二支」の組み合わせのことで、全部で60種類あり、60を周期とする「数詞」として、「暦」における「年」「月」「日」を始めとして、「時間」「方位」「角度」「順序」などに用いられる

■「方位」への応用は、「陰陽五行説」と結びついたことによって漢の時代に広まった

■「10×12=120種類」ではない理由は、「十干」と「十二支」の2つの系列を順に並べて組み合わせをしていった結果、最小公倍数の60で一回りしてしまったからと思われる

■「10」も「12」も2で割り切れることから、奇数は奇数だけ、偶数は偶数とだけ組み合わさるため、「陽」と「陽」、「陰」と「陰」の組み合わせはあるが、「陽」と「陰」の組み合わせはない

■日本では「陽」を「兄(え)」、「陰」を「弟(と)」と考えられたことから、「干支」を「えと」と読むようになった

■社会的事件の名称につけられる場合は、その事件の起こった年をあらわす(戊辰戦争・壬申の乱など)

■「還暦」とは生まれた年の「干支」に還ることで、60年で「干支」が一回りするため、60歳を意味する

■「十干」も「十二支」も「暦」との関係が深く、「陰陽五行思想」と結びついたことから、「方位」とも関連が非常に強くなった概念であり、「十二支」にいたっては「天文学」との関係性が深い

■「十干十二支」の組み合わせでは、「十干」が先に表記されることから、「十干」のことを「天干(てんかん)」、「十二支」が後に表記されることから、「十二支」のことを「地支(ちし)」とも言う

■「十二支」は古来、「十干」と組み合わせて用いられてきており、干支を「かんし」読むことから、「十干」は「幹」、「十二支」は「枝」であるとも言われている

■「えと」という言い方は、もともと「十干」を「陽」と「陰」に分けた際に、「兄(え)」と「弟(と)」として訓読したことに由来するが、現在では、「干支(えと)」と言えば、おもに「十干十二支」もしくは「十二支」だけのことを指す

■「気学・方位学」における「太極(中心)」の移動には60日かかると言われるが、その根拠として、「干支」の周期に基づいて、すべての「干支」の日を宿泊することで「根付き」が完了するからだと考える流派や鑑定者もいる

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気学と方位学の違い

 一般的に「気学・方位学」と、ひとまとめにして言ってしまっていますが、厳密に言えば少し違っています。

「気学」は大正末期に日本人の占術家が創り出したものですが、「方位学」という場合はもう少し大きな概念で、「時間と方位により吉凶を占う方法論すべて」のことです。

ですので、「気学」は「方位学」の一種であると言えます。

「気学」以外の「方位学」で有名なものと言えば、諸葛孔明の兵法などで知られる「奇門遁甲の術」がありますが、それ以外にも「方位学」は実はたくさんの種類が存在しているようです。

映画でも有名になった、平安時代に実在した安倍晴明があやつる「陰陽道」も、方位による吉凶を占う方位学の1つだと言えますね。

それらは、「時間と方位の関係性から吉凶を占う」という共通性はあるものの、内容は多種多様で、それぞれの占術体系は結構大きな違いがあります。

ただし、日本において「方位学」という場合には、一番人気がありポピュラーな「九星気学」を指すことが多いです。

陰陽道について

【陰陽道】

■本来は「おんようどう」「いんようどう」と読んだらしいが、現在一般的には「おんみょうどう」と読む

■そもそもは、古代に発生した中国の民間信仰で、「天の動きと人の世の動きには関係がある」という「天人相関」の思想に立ち、すべての「吉凶」を「天文の変化」から予知し、これにどのように対処してゆくかを決めようとしたもの

■中国の「陰陽道」の核になっているのは「陰陽五行説」であり、「道教」の影響も色濃く受けているとされる

■「陰陽道」に基づいて「天体」を観測し、「暦」をつくり、「時」を算出して、各種の器具を考案して「吉凶」などの占いを実践する「陰陽道」の担い手を「陰陽師」と呼ぶ

■日本に伝来したのは、5〜6世紀の飛鳥時代とされ、「仏教」や「道教」などと一緒に伝えられたと言われている

■日本の「陰陽道」は、中国古代の思想を受け継ぎ、日本固有の思想・呪術・学問の体系として朝廷の公的な学問となり、奈良時代~平安時代にかけて独自に大発展した

■日本では、中国の「陰陽五行説」の概念を軸として、「陰陽説」と密接な関係にある「天文学」「暦学」「易学」などの自然哲学だけでなく、さらに「神道」「古神道」「仏教」「密教」「修験道」「呪禁道(じゅごんどう)」に影響を色濃く受けた

■主に自然界の変化を分析し、それが人間界に及ぼす影響を予測する事をテーマとする

■「陰陽師」は、災厄を避けるために「神仏」に通じていった事から、徐々に宗教的な要素も大きくなっていき、祭祀を管理・運営する技能も持つに至った

■日本の「陰陽師」の代表的人物として有名なのは朝廷の「陰陽師」としては「吉備真備」「安倍晴明」など、民間の「陰陽師」としては「蘆屋道満」「鬼一法眼」などで、「陰陽道」を継承する氏族としては「土御門家(陰陽道安倍氏/土蜘蛛)」「賀茂氏」などがある

■奈良時代の「遣唐使」であり「陰陽師」でもあった「吉備真備」や、「修験道」の開祖と言われる「役小角」などは、「陰陽道」を伝える「賀茂氏」の出身だとされている

■平安時代になると、貴族のお抱えの私的な「陰陽師」の需要が高まり、貴族の個人的な願望や欲望を満たすために「陰陽師」が雇われるようになっていったが、その中で最大の勢力だったのが「賀茂氏」と「安倍氏」であり、室町時代以降、「安倍家」は「土御門家」へ改姓している

■「陰陽師」には、仏教や神道が本来担っている「厄除け」の役割も任されていき、「悪霊祓い」や「御霊奉神」といった「心霊対策」も守備範囲となっていく

■伝来した当初は主に僧侶がその役割を担っていたが、奈良時代に入り律令制が確立されてのちは専門の役所として中務省に「陰陽寮」が設置され、国家的制度として大発展を遂げる

■公的な制度としての「陰陽道」は、1872年(明治5年)に廃止されたが、「神道」の一部に取り込まれた形で今に残る

■「陰陽道」の中には、「神社神道」に取り込まれることなく、民間の「陰陽師」たちの口伝により伝承されてきた「実践的体系」があるとも言われている

■「陰陽道」にはたくさんの神がいたが、そのうち有名なものとしては、「泰山府君(たいざんふくん)」「牛頭天王(ごずてんのう)」「歳徳神(としとくじん)」「金神(こんじん)」「大将軍(だいしょうぐん)」など

■「陰陽道」に関係が深い神社として有名なのは、東京都の「立石五方山熊野神社」神奈川県の「寒川神社」、愛知県の「名古屋晴明神社」、京都府の「大将軍八神社」「八大神社」「東三条大将軍神社」「鎌達稲荷神社」「晴明神社」「上賀茂神社」「下鴨神社」「貴船神社」、大阪府の「方違神社」、兵庫県の「廣峯神社」など

■「陰陽師」は、「星占術」「風水占術」「祭祀」「祈祷」など、目に見えないあらゆる分野で活躍し、「家相」「地相」や「風水」も守備範囲に入っていたため、「陰陽師」のことを「風水師」と同義で用いることもある

■「風水師」は「風水」の専門家であり、「陰陽師」は「陰陽道」の専門家のことなので、本来は違う

■「悪霊祓い」「怨霊祓い」や「御霊奉神」といった「心霊対策」「お祓い」を専門に行う人を「祓い屋(はらいや)」と呼んだりし、「陰陽師」「神職」「僧侶」などがその任を担うことも多くあった

■映画「陰陽師」や漫画「夏目友人帳」などの作品で、主人公になったり、物語の題材にされたり、その周辺が描かれたりすることも多くなり、明治になって切り離したはずのものが、また身近になってきたと言えるかもしれない

■陰陽道の紋章・模様として有名なのが、「セーマン(五芒星)」「籠目(かごめ/六芒星)」「ドーマン(横5本縦4本の格子)」など

■「陰陽道」の思想的な基盤は、「陰陽五行」と「八卦」であるとされ、日本伝来以降、「神道」「密教」「修験道」など習合しながら、それぞれが独自の発展をしていった

■中国では「陰陽家」の思想は「儒教」や「道教」などに吸収されてしまい、日本の「陰陽道」に相当する独自の体系は発達しなかったとされている

奇門遁甲について

【奇門遁甲】

■「奇門遁甲(きもんとんこう)」は、おもに「方位」の「吉凶」を占うための、古代中国の時代から伝わる占術で、「式占(しきせん)」の一種であり、「遁甲式(とんこうしき)」とも呼ばれる

■「式占」とは、占うに際して計算を行い、そのときに、「式盤(しきばん)」「天地盤」あるいは「栻(ちょく)」と呼ばれる簡易な器具を使用する占いの1種

■「式盤」は「天地盤」と呼ばれることもあり、「天盤」と呼ばれる円形の盤と「地盤」と呼ばれる方形の盤を組み合わせたものが基本形で、円形の「天盤」が回転する構造となっている

■「天盤」や「地盤」の形状は、「天は円く地は四角い」とする中国の天地観に基づいた形となっている

■「天盤」や「地盤」には「十干」「十二支」といった占いに必要な文字や記号が記入されており、天盤の文字や記号を地盤のそれと合わせることで簡単な計算を行ったのと同じ効果が得られた

■「六壬式盤」の「地盤」の中央に「天盤」の代わりに匙の形をした「方位磁石」を置いた「指南」が、後に風水で使用される「羅盤」の原型ではないかと推測されている

■代表的な「式占」には、「太乙式(太乙神数)」「遁甲式(奇門遁甲)」「六壬式(六壬神課)」があり、これらはまとめて「三式」と呼ばれた

■「三式」のうち「六壬式」は、平安時代から鎌倉時代にかけて、「陰陽師」にとって必須の占術であったとされ、「安倍晴明」は後代のために「占事略决」を残している

■「奇門遁甲」の伝説によれば、黄帝が蚩尤(しゆう)と戦っていた時に天帝から授けられたとされる

■周の呂尚や前漢の張良によって作盤方法の整理が行われたとされ、中国古代における代表的な占術であった

■魏呉蜀の三国が中国の覇を競った三国時代の蜀の諸葛亮孔明なども用いたとされる

■残された文献の数から判断すると、中国の「宋」「明」「清」の時代に最も隆盛しており、現在残っている「奇門遁甲」は中国の「明」や「清」の時代に確立された説に基づいていると言われている

■「奇門遁甲」の真伝は単なる占術ではなく呪術の要素も含んでいたようである

■「二十四節気」や「干支」から算出される「遁甲局数」を基にして「遁甲盤」を作成して占うが、このとき「奇門遁甲用の式盤」を使用することがある

■「遁甲盤」の構成要素の一つである「八門」を重要視することから「八門遁甲(はちもんとんこう)」とも呼ばれた

■時刻の呼び方においては「十二時辰」が採用されている

■「日本書紀」によれば、西暦602年(推古10年10月)、百済の僧観勒が天文、遁甲、暦書を伝えたのが最初とされているが、民間ではそれ以前から様々な形ですでに伝来していた可能性がある

■「方位学」は、古来「開運法」というよりは「兵法」「兵学」であり、「奇門遁甲」も、隋の文帝のとき(581-604)行政上、軍事上の理由から発禁とされ、それにならって日本でも「養老令」で禁じている

■戦国時代には、日本の風土に合わせて改変された「奇門遁甲」「八門遁甲」が生み出されているが、これらは軍配者とよばれた「軍師」によって使用された

■日本独自の「奇門遁甲」としては、「山鹿流」「真田流」「甲州流」などが有名

■明治大正時代になると、それまで発禁とされてきた「奇門遁甲」の文献が、数多く発刊されるようになった

■戦後の1960年(昭和35年)以降、台湾透派の「透派奇門遁甲」が、日本の「奇門遁甲」において、のちに重要な役割を演じる「内藤文穏」「松下文州」「佐藤六龍」など数名の人物に伝授されている

■「透派奇門遁甲」には、「一白水星」から「九紫火星」までの「紫白九星」や、「後天定位盤」の元となった「洛書の魔方陣」などの要素が組み込まれている

■「奇門遁甲」には、「方位」「天文」「易」「暦」「十二時辰」「十干」「十二支」などの要素が幅広く含まれ、日本における「陰陽道」や、のちの「気学」にも大きな影響を与えているとされる

■「奇門遁甲」は、「陰陽道」「九星気学」などとは占い方や算出方法に違いはあるが、ある年月日や時間における「吉方位」を割出して、その「吉方位」に移動することで「吉凶」を生み出すという点は同じであると言える

古神道および神道について

【古神道/神道】

■「古神道」とは、通常は、日本において外来の「宗教」「思想」「占術」などの影響を受ける以前に存在していたとされる「神道」のこと

■現在の一般的な「神道」が成立する以前の「神道」であり、「純神道」「原始神道」「神祇信仰」とも呼ばれる

■江戸時代の「復古神道」や、「復古神道」の流れを汲んで、おもに幕末から明治にかけて成立した「神道系新宗教(新興宗教)」のことを指す場合もある

■「古神道」が様々な要素を取り入れて発展・整理され「神道」になっていくが、一般的には「仏教伝来」の以前と以後で「古神道」と「神道」が分けられることが多い

■「神道」は、「宗教」に分類されているが、「宗教」の定義の三大要素である「教祖」「経典」「戒律」を3つとも持たないという点で、「宗教」というより、長期間にわたって日本人の世界観・死生観や慣習などが蓄積して自然発生した「文化」という側面を、より強く持つ

■「古神道」は、「自然崇拝・精霊崇拝などのアニミズム」「先祖崇拝としての命・御魂・霊・神」「生命の本質としてのマナの概念」、「常世(とこよ)と現世(うつしよ)からなる世界観」、「禁足地や神域の存在」、「境界を隔てる端境とその往来を妨げる結界」「言霊(ことだま)」などの特徴的要素の他に、「祈祷や呪術・占い(シャーマニズム)による祈願祈念」が重要視され、古代の政(まつりごと)に反映された

■「祈祷や占い」は現在の「神社神道」でもよく受け継がれており、古来そのままの「占い」を年始などに行う神社もある

■「おみくじ」も、もともとは神職による「祈祷や占い」を簡素化したもの

■「古神道」については、現在の「神道」では、あまり重要視されていないと言われ、「古神道」の内容を伝える文献なども、「古事記」「日本書紀」や「風土記」など極端に少ないため、よく分かっていない部分も多いとされる

■「古事記」「日本書紀」「風土記」以外の文献については、「ホツマツタヱ」や「竹内文書」など有名なものがいくつあるようだが、すべて後世の偽作だと言われている

■「文化」よりも「宗教」の側面が強調されている「教派神道」や「神道系の新宗教(新興宗教)」「神道系カルト」などでは、何故か「古神道」を名乗ることが多いようである

■「古神道」では、「祈祷・祈願」のほか、さまざまな「まじない」や「呪術・呪文」「印」「呼吸法」「行法」「占い」などが存在したと言われている

■幕末・明治維新から昭和の初めにかけて、「出口王仁三郎」などに代表される、多くの「神道家」や「霊能者」が輩出し、「古神道行法」「まじない」「呪法」などを復元させたとされているが、それらの真贋は何とも言えず、そもそもそれが本来の「古神道」であったかどうかも分からない

■幕末明治の「古神道」への回帰は、「神道家」「霊能者」だけでなく、「浅野和三郎」などによる「心霊主義運動」も生み出し、一部の「学者」なども巻き込みながら、現代の「スピリチュアリズム」へとつながっていく

■「陰陽道」は「占い」も行ったが、「除災招福」や「悪霊祓い」「方位除け」などの祭祀なども執り行ったので、それらの儀式の形式や考え方・道具立てが、「神道」「密教」などと似た部分も多く守備範囲も重なることから、「陰陽師」は「神職」「僧侶」とは商売敵でもあった

■「古神道」「神道」と「陰陽道」は、「陰陽道」が中国から伝来し、日本独自の「陰陽道」が発展してく過程において、長い期間、継続的に影響を与え合ってきたとされる

■明治になって、「陰陽師」の官職が廃止されたあと、「陰陽道」は「神道」に取り込まれる形で受け継がれていった

■「陰陽道」の影響を色濃く受けた神社は各地にあり、東京都の「立石五方山熊野神社」神奈川県の「寒川神社」、愛知県の「名古屋晴明神社」、京都府の「大将軍八神社」「八大神社」「東三条大将軍神社」「鎌達稲荷神社」「晴明神社」「上賀茂神社」「下鴨神社」「貴船神社」、大阪府の「方違神社」、兵庫県の「廣峯神社」など、現在でも全国に多数存在する

密教について

【密教】

■「密教(みっきょう)」とは、秘密の教えを意味しており、一般的には、「大乗仏教」の中の「秘密教」を指し、「秘密仏教」の略であるともされる

■「金剛乗」あるいは「金剛一乗教」「金剛乗教」とも言われている

■日本においては、「密教」といえば弘法大師「空海」を開祖とする「真言宗」のいわゆる「東密」「真言密教」や、伝教大師「最澄」を開祖とする「天台宗」での「台密」「天台密教」を指した

■現代では、インドやチベットにおける同種の「仏教思想」の存在が認知・紹介されるにしたがって、それらも合わせて「密教」と総称するようになった

■「真言宗」では、伝統的に、「密教」とは「顕教」と対比される教えであるとされている

■「顕教」では経典類の文字によって全ての信者に教えが開かれているのに対し、「密教」は「阿字観」などの視覚的な瞑想を重んじ、「曼荼羅」や「法具類」「灌頂の儀式」を伴う「印信」や「三昧耶形」などを中心として、授かった者以外には示してはならない「秘密」の教えとされる

■「密教」は、教団の中で秘密の教義と祭祀・儀礼を、師資相承(ししそうしょう)によって伝えていくスタイルの「仏教」だったため、「神秘主義的」「象徴主義的」な教義が中心になり、「神秘的宗教体験」を通して「仏教」を体得していくものとされた

■「空海」は、「密教」が「顕教」と異なる点を「弁顕密二教論」の中で「密教の三原則」として、「法身説法」「果分可説」「即身成仏」の3つだと説いている

■「大乗仏教」が膨大な時間を費やすことによる「成仏」を説くのに対して、「密教」は老若男女を問わず、今世(この世)において成仏することによる「即身成仏」を説く

■日本で「密教」が公式の場で初めて紹介されたのは、805年に唐から帰国した「最澄」によるものであったと言われている

■当時の皇族や貴族は、「最澄」が修学した「天台教学」よりも、むしろ「現世利益」も重視する「密教」、あるいは来世での「極楽浄土」への生まれ変わりを約束する「浄土教(念仏)」に非常な関心を寄せたらしい

■「最澄」は「密教」を本格的に修学していたわけではなかったため、唐における「密教」の拠点であった青龍寺において「密教」を本格的に修学した「空海」が806年に日本に帰国してから、本格的な形で日本において紹介されることになる

■日本における「密教」の流れは3つあり、「空海」が唐の青龍寺の恵果に受法して日本に伝来して、「真言密教」として体系付けた「真言宗」と、「最澄」によって創始され、円仁、円珍、安然などの後継者たちによって完成された「日本天台宗」の継承する「密教」が日本密教に分類されるが、これらの体系的に伝来し完成された「東密」「台密」を「純密(じゅんみつ)」というのに対し、「純密」伝来以前に断片的に伝えられ信仰された奈良時代の「密教」を「雑密(ぞうみつ)」と呼んだ

■「真言宗」の「密教」は、「東寺(教王護国寺)の密教」という意味で「東密」と呼ばれ、「即身成仏」と「鎮護国家」をテーマとした「密教専修」の仏教であった

■「日本天台宗」の「密教」は、「天台宗の密教」の意味で「台密」とも呼ばれ、「天台」「密教」「戒律」「禅」がテーマとなった「四宗相承」の仏教であった

■日本の密教は、「浄土信仰」や、「空海」「最澄」以前から存在していた「霊山」を神聖視する在来の「山岳信仰」とも結びつき、「修験道」などに見られる、後の「神仏習合」の母体ともなっている

■「密教」の特徴は、手や指で「印」を結び、口で「真言」を唱え、心で「瞑想」する事で、いかなる願いも達成され、成就させる事ができるとされたこと

■「真言」とは、「仏教本来の言語であるサンスクリット語の音であり、唱えれば神仏の力を得られるとされる言葉」のことで、あらゆる問題や悩みに対して大きな力を発揮できると言われていた

■「空海」が「宿曜経」を伝えて「宿曜道」と呼ばれる「密教占星術」が奈良時代に入ってきて、その後「陰陽道」と「密教占星術」は早くから習合し、日本独自の占星術を作り出していったとされている

■「密教」には「陰陽道」系統の星神が仏教外護の天部の神々として取り込まれ、また「陰陽道」には「密教」系統の天部の神々が星神として取り込まれるなどしている

■降雨を祈願する「呪術」である「祈雨法(きうほう)」は、「密教」において仏法の功徳を示す最も重要な修法の1つであったが、天文や天象についての知識が必要であったことから、「僧侶」が「陰陽道」を援用したり、「僧侶」と「陰陽師」が合同で行ったりする例も多かったと言われている

■「陰陽師」が人を「呪詛」する際に使うものは、呪う相手を象った「ヒトカタ(人形)」であるが、「密教」でもこの「ヒトカタ」を用いた秘密の修法は数多く行われているようである

■「密教」の「僧侶」は、「占い」や「陰陽道」「易(えき)」によって結果や運命・原因などを占った上で、必要に応じて「加持祈祷」を行ったとされ、「密教」における「呪術・呪法」には「占い・陰陽道」は、欠かせないものだったと言える

■「方位除け」「八方除け」を得意とする「密教」系の「寺院」も全国にあり、現在では「密教」以外の宗派の「寺院」でも「方位除け」を行うところがある

修験道について

【修験道】

■「しゅげんどう」と読み、「修験宗(しゅげんしゅう)」という呼び方もする

■山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする日本古来の「山岳信仰」が「神道」「仏教」が習合したものに取り入れられた日本独特の宗教と言える

■「修験道」の実践者のことを「修験者」「山伏」と呼ぶ

■「修験道」は、「古神道」をベースに、「山岳信仰」「仏教」が習合し、さらに「密教」「陰陽道」「道教」などの要素も色濃く影響しているとされる

■「古神道」同様に、森羅万象あらゆるものに命や神霊が宿るとし「神奈備(かむなび)」や「磐座(いわくら)」も信仰の対象としている

■日本全国の「霊山」を修行の場にして、深山幽谷に入り厳しい修行を行うことで功徳のしるしである「験力」を得て、衆生の救済を目指すという実践的な教義

■「修験」とは、「修行得験」あるいは「実修実験」の略語とされる

■日本古来の山岳信仰の対象であった「霊山」とされた山々は、修験道の道場でもあり、「大峰山(奈良県)」「白山(石川県)」「立山(富山県)」「戸隠山(長野県)」「高尾山(東京都)」「大山(神奈川県)」「箱根山(神奈川県)」「鳥海山(山形県~秋田県)」「出羽三山(山形県)」「蔵王山(山形県~宮城県)」「日光山(栃木県)」「熊野三山(和歌山県)」「富士山(静岡県~山梨県)」「恐山(青森県)」などがある

■「修験道」は神仏習合の信仰であり、「日本の神々」と「仏教の神仏(如来・菩薩・明王)」がともに祀られて、混然一体となっている

■「神仏習合」の結果、祭神の表現としては「日本の神々」「仏教の仏(如来・菩薩・明王)」「権現(神仏が仮の姿で現れた神)」などの神格や「王子(王子信仰の神々や社)」などがあり、「山岳信仰」の流れから、「山」に関連した神格が存在することもある

■「修験道」は全国の「霊山」やそれぞれの「寺社仏閣」により、体系や儀式の次第は異なっているようである

■「修験道」の行法は、「密教の経典」を使ったり「真言」を唱えたりするものが多い印象があるが、そうした「加持」「祈祷」の他にも、「神道」で行われる「祭祀」や、「祝詞」「祓詞」などを行う行事・儀式もあるとされる

■「神仏習合」した「権現」や「明神」が必ずしも主神とは限らず、本地垂迹による「仏教の神仏」も祭祀しており、「日本の八百万の神々」も年中行事として祀っている

■「修験道」は、飛鳥時代に「役小角(えんのおづぬ/役行者)」が創始したとされている

■「役小角」は、「陰陽道」の中心的な家柄である「賀茂氏」の出身であると言われているが、伝説上の人物なので、実際の開祖に関する史実は分かっておらず、「修験道」には特定の開祖はいないと言われているが、「役小角」伝説の中に「陰陽道」との色濃い関係性が示唆されている

■「役小角」は、出家をせず、一生を在家のまま通したと言われていることから、「修験道」は「在家主義」を貫いているとされる

■「修験道」の源は、8世紀ごろからみられた「仏教伝来以前からの日本土着の神々への信仰(古神道)」と、「仏教への信仰」とを融合させる「神仏習合」に始まっていると言われる

■「神仏習合」が神社の境内に「神宮寺」が、寺院の境内に「寺内社」「鎮守」が建てられ、「神職」「僧職」が兼任されたり、神前で読経が行われたりしていたが、それらの「神仏習合」の動きに、「密教(天台宗・真言宗)」で行われていた山中での修行や、日本古来の「山岳信仰」が取り込まれ、「修験道」という独自の信仰となっていったと考えられる

■「修験道」は、歴史的に「密教」との関わりが深かったため、「仏教」の一派とされることもある

■1613年(慶長18年)に江戸幕府が「修験道法度」を定め、「修験道」は「真言宗」系の「当山派」と、「天台宗」系の「本山派」のどちらかに属さねばならないことにした

■1868年(明治元年)の神仏分離令に続き、1872年(明治5年)、「修験禁止令」が出され、「修験道」は正式に禁止され、廃仏毀釈などにより、「修験道」の信仰に関するものも、この頃に破壊された

■「修験道」の団体のなかには、明治以降に「教派神道」に移行していったものもあり、「御嶽教」「扶桑教」「実行教」「丸山教」などが有名である

■「修験道」独自の神々としては、「蔵王権現(ざおうごんげん)」「愛宕権現(あたごごんげん)」「若一王子(にゃくいちおうじ)」「九十九王子(くじゅうくおうじ)」「前鬼(ぜんき)」「後鬼(ごき)」「一言主(ひとことぬし/賀茂氏の祖神)」「天狗(てんぐ)」などが名が知られている

■「修験道」とは「柱源の境界を得ること(柱源法)」を究極の目的とする宗教であるが、難解であるため、初心の行者は、まず初伝として「密教」を修めることから修行を始めると言われる

■「柱源法」は「園城寺」と「醍醐寺」だけが護持しており、「園城寺」では「柱源法流」、「醍醐寺」では「惠印法流」として相伝するため、「修験道」の寺は、必ずこの二寺の末寺となることから「本山派」「当山派」と称された

■近年「修験」を自称する宗派が増えているらしいが、初伝の「密教法流」と奧伝の「柱源法流」または「惠印法流」を伝承するかどうかが、「修験」の系統かそうでないかを見極めるポイントとなる

■「修験道」では、柱源の境界を得るための修行として「峰中修行」が重要視されるが、山野を駆け回ることが「修験道」の本旨というわけではなく、深山霊峰で行う修行は「十界修行」という、「無相三密」の修行だとされている

■「修験道」の流れは、現代では、奈良県吉野山の「金峯山寺(金峰山修験本宗)」、京都市左京区の「聖護院(本山修験宗)」、同伏見区の「醍醐寺三宝院(真言宗醍醐派)」などを拠点に信仰が行われており、「日光修験」や「羽黒修験」「熊野修験」のような、各地の霊山を拠点とする「国峰修験」の系統もある

■「修験道」に関係が深い寺院としては、「園城寺(三井寺/滋賀県)」「醍醐寺(京都府)」「聖護院(京都府)」「金峯山寺」「薬師寺(奈良県)」「瀧安寺(大阪府)」「大山寺(鳥取県)」「高尾山薬王院(東京都)」などがある

■「修験道」に関係が深い神社としては、「鳥海山大物忌神社(山形県)」「箱根神社(神奈川県)」「大山阿夫利神社(神奈川県)」「日光二荒山神社中宮祠(栃木県)」「秋葉山本宮秋葉神社(静岡県)」「北口本宮富士浅間神社(山梨県)」「冨士根本宮村山浅間神社(静岡県)」「伊豆山神社(静岡県)」「熊野三山(和歌山県)」「石鎚神社(愛媛県)」「英彦山神宮(福岡県)」などがある

■「出羽三山(山形県)」「大峰山(奈良県)」「英彦山(福岡県~大分県)」における「修験道」は「日本三大修験道」と呼ばれている

■「密教」は皇族や貴族とのつながりが深いが、「修験道」は庶民とのつながりが深く、修験者たちは、「加持祈祷」などの「呪術的能力」や「占い」などの「占術的能力」を発揮して、庶民の信仰や生活に深く入り込んでいたとされる

道教について

【道教】

■中国に古代からある民間信仰をルーツとする宗教で、「儒教」「仏教」とともに中国三大宗教とされている

■「道教」では、神仙となって不老長寿の身を得ることが究極の理想であり、それを目指す「道」の中に医術も含まれていた

■「道教」の医術の中に、現代医学の一部として普及している経絡秘孔(ツボ)を活用した按摩・鍼灸などや、のちに「呪禁」と呼ばれる「呪術的」な要素の強い医術も含まれていたとされる

■邪馬台国の卑弥呼姉妹が操ったとされる「鬼道」は、「初期道教」の1つであるとされ、のちに「陰陽道」に発展したと言われてもいる

■「東」「西」「南」「北」をあらわす「青龍」「白虎」「朱雀」「玄武」の四神は、もともとは「道教」の神であったとされ、「九星気学」「陰陽道」「奇門遁甲」など、現在伝わる多くの「方位学」にそうした「道教」の影響が見て取れる

■「道教」は、宇宙と人生の根源的な真理や真実在の世界を指す「道(タオ)」の不滅と一体になることを究極の理想とする土着的・伝統的な宗教

■「道教」は、「陰陽五行説」に基づく「易学」が導入されていることから、日本で古来、「陰陽道」とよばれているものは「道教」の一部分でしかなく、「道教」の体系の全体像の中から、「陰陽五行」の「易学理論」と親和性が高いものを抽出して、「陰陽道」と呼んでいるに過ぎないという見解もある

■「道教」の占術・呪術が日本的展開をみせたものが「陰陽道」であると言え、「陰陽道」は「占星術」「方位術」「お祓い(おはらい)」「反閇(へんばい)」「人形(ひとがた)」などの占術・呪法の諸要素を「道教」から受け継いでいるという見方もある

■「臨兵闘者皆陣列在前」などの「九字(くじ)」は、「道家」により呪力を持つとされた9つの漢字のことで、これが日本に伝えられ、「修験道」「陰陽道」「密教」「武術」「忍術」などに、主に護身のための呪文として取り入れられたと言われる

■「陰陽道」の有名な紋章の1つである「ドーマン」は、「横5本、縦4本の格子の紋章」であるが、9本の線は「九字」に由来しているとされる

■「道教」と「陰陽道」は中国が生み出した思想・信仰の双璧であり、中国の二大思想という見解もある

■「道(タオ)」と一体となる修行のために錬丹術を用いて、「不老不死の霊薬」や、「丹を錬る」ことで、仙人となることを究極の理想とする

■「老荘思想」「道家思想」と「道教」とには直接的な関係はないとするのが従来の見解であったが、「道教」には「神仙思想」が根本にあり、そこに「老荘思想」や「陰陽五行説」が混入し、伝わった「仏教」の影響から独自の様相に至ったともされ、「老荘思想(道家の思想)」を「道教」の源とみなすという見方もある

■老子を神格化した「太上老君」「元始天尊」などとし、のちに神仙の列に加え、「道教」の最高位と考えるに至っており、それゆえ「道(タオ)」を中心的な思想とし、「気」の身体への出入りを重視する

■深山幽谷に住む「仙人」のイメージからか、おもに「長生」「長寿」「昇天」を目指す

■古来の「卜占(ぼくせん)」「蠱術(こじゅつ)」や「鬼道(きどう)」を利用したり、「陰陽五行説」や「占術」や「易」を援用したりするほか、長生のための「養生術」を、衣食住はじめとして「房中術」にまで及ぼす

■厄災消除のための「方術」「道術」を使ったり、独自の「護符(霊符)」を多用して、ときに悪霊や厄災などの「調伏」をしたりもする

■「風水」や「気功」「武術」「漢方」もとりいれていることや、「錬丹術」「錬金術」を追求し、「金丹」などの薬物の生成に長じるなど、他の思想や技法を吸収したり、逆に影響を与えたりしながら、守備範囲をどんどん広げていくのが特徴的

■しだいに教団をもつ「成立道教(教会道教)」と民間信仰として広がる「民衆道教」に分かれていった

■「道教」は、中国で自然発生的に成立したとされる、多神教的な宗教であるが、どんどん「道教」の神々をふやしていった

■日本における「道教」は、4世紀には中国から流入したらしく、6世紀には「仏教伝来」に伴い「道教」の「呪禁」「遁甲術」などがもたらされ、「方術」の修得や「神仙思想」も、支配者層において教養から実践に至るまでの浸透を見せ、民衆社会にもすそ野を広げていったようである

■「道教」は、日本では体系的ではなく断片的な知識や俗信仰の受容に留まり、中国唐王朝が日本に対して「道教」の受け入れを求めた時、日本側は天照大神を先祖とする天皇の支配体制と相いれないものとして拒否している

■「道教」に取り入れられていた一要素に過ぎなかった「陰陽思想」「五行思想」「神仙思想」、それに伴う「呪術的な要素」は「道術」から「陰陽道」に名を変えて政治の中核を担う国家組織にまで発展している

■天武天皇による「道教」の廃止と共に、それに代わって、「陰陽師」が「道術」の要素を取り入れ、日本独自の「陰陽道」が生まれたと言われている

■「古神道」「山岳信仰」と「仏教」「密教」が習合した「修験道」には、「道教」「陰陽道」などの要素が色濃く入っているとされる

■「風水」は「道教」の「陰陽五行説」を応用したものであり、現在でも開運を願って取り入れようとする人が後を絶たない

■日本に伝来し定着した「道教信仰」で有名なものは「庚申信仰」などがあるが、「二十四節気」などの暦に関することもかなり影響を受けており、「陰陽道」と同じく日本の思想や慣習と習合されているとされる

仙道について

【仙道】

■「仙道(せんどう)」とは、中国の「内丹術(ないたんじゅつ)」を中心とした、「老荘思想」「神仙思想」などに基づいた「仙人になるための修行法」で、「仙人の方術・仙術の方法論」のことを言う

■「内丹術」は、天地万物の構成要素である「気」を養うことで、自己の身中に神秘的な霊薬である「内丹」を作り、「道(タオ)」との一体化を目指すため、身心を変容させて、内側から鍛練する中国の伝統的修行体系であると言われる

■「内丹術」は、「行気」「導引」「存思」「胎息」などの伝統的な「道教」の身体技法に着想を得て、人体に内在する根源的生命力である「気」を凝集して活性化し、身心を本来あるべき自然なカタチに戻そうとする技法

■もともと人間は「道」の一部を内包しており、「道」は日常的身体において「気」が損なわれる途上にあるが、修煉を積むことで本来あるべき状態への回復・回帰を目指すとされる

■中国では、「神仙家」「道家(老荘家)」「医家(漢方医家)」が密接に関連し、影響し合う中で歴史的に形成されてきた、「内丹術」を中心とした体系的な自己修養の実践法や思想を「仙道」「仙学」「仙宗」「丹道」「道家養生学」などと呼ぶが、現代日本ではもっぱら「仙道」という呼び名一般的

■「内丹術」の思想は、「道家(老荘思想)」の哲学を元に、古代の「神仙思想」を取り込み、「禅宗」と「儒家」の思想と実践を融合した実践重視の哲学体系であると言われる

■「陰陽五行思想」は、天地万物の一切である「気」の生成変化の事象を説明することに用いられ、「気」によって成る人間もまた、自然と同じく「陰陽五行」の運行原理に従っているとされた

■「老荘思想」「神仙思想」による「仙道」は仙人になるための方法であるが、その中には一種の選民思想も含まれており、素質や天稟のないものは、基本的にいくら努力しても仙人にはなれず、なれたとしても高位には登れないとされ、その素質のことは「仙骨」と言われたとされる

■仙人として、一番位が高いのが「天仙(羽化登仙)」、次が「地仙」、一番地位が低いのが
「尸解仙 (しかいせん)」と言われている

■「道士」とは、「仙人」「方士」とも呼ばれた「仙道・神仙の術を行う人」のことを指すが、ほかにも、「道教の修行につとめ、その祭儀を執り行う専門家(道家)」「仏教の修行者や仏門にある人」「道義を体得した、立派で道義心の強い人」のことも指す

■古代中国において、「道士」は「仙道」や「方術」をあやつる技術の専門家でもあり、同時に「老荘思想」「神仙思想」を信奉する思想や東洋哲学の専門家でもあった

■「仙道」と「占術」の関係としては、「占術」における「命」「ト(ぼく)」「相」「医」「山」の5つの要素が「仙道五術」と呼ばれていることからも、神通力とされる「占い」は「仙道」の中においても重要な要素の1つであり、「方位学」とも深い関係があったようである

■「命」とは、個人的な「貴賤」「天寿」「吉凶」「富貧」「成敗」などを占う、「命理」「命術」と呼ばれる占いの総称で、「四柱推命」「紫微斗数」などの「宿命」を占える「占術」のこととされる

■「ト(ぼく)」とは、人間の行動や人が起こす事件などを占い、「雑占」「ト術」と呼ばれる占いの総称で、「易」や「方位術」などの、ものごとの結果が占える「占術」のこととされる

■「ト(ぼく)」はさらに3つに分かれ、「占ト」は「五行」「易」「干支」を使って占う「占術」、「選ト」は、「方位」と「時間」を使って占う「奇門遁甲」などの「占術」、「測局」は天災、国家、政情、大衆の動向などを占える「占術」のことだと言われている

■「相」とは、五感によって人やものの形状や形を鑑定して、現状とその影響を占える「風水」「家相」「人相」「手相」「姓名判断」などの「占術」のこととされる

■「医」とは、術理によって心身の健康について言及し、「五行」「十干」「易」を使いながら病原をみきわめるなど、病に関わる被害を軽減させるため、医療的なことを占える「漢方」「鍼灸」「整体」「点穴」などのことだと言われている

■「山」とは、「仙人」が行うべき日々の修養により、心身を鍛えて健康と長寿を保つことで、心身を清浄に保つ方法として、「食事療法」「呼吸法」「気功」「武術」などを指したとされる

■「内丹術」に対して「外丹術」というものもあり、こちらは食事や仙薬によって仙人になるための方法

呪禁道について

【呪禁道】

■「じゅごんどう」「じゅこんどう」と読む

■「呪禁(じゅごん)」とは、中国三大宗教の1つである「道教」に由来するもので、呪文や御札・太刀・杖刀などを用いて悪霊・怨霊・邪気・獣などを制圧し、身体を固めて様々な害を退けるとされている

■「道教」が日本に伝わったとされている4世紀頃には、一緒になんらかの形で「呪禁」も伝わっていたと言われているが、「呪禁」を専門的に行う「呪禁師」が日本に登場するのは6世紀頃になる

■元来は古代中国の医療を司る役所「太医署」に置かれた、呪術的医療に軸足を置く職能者が用いた技術や知識の体系で、古代中国では呪術的医療の一つとして公的に認められていた

■「呪禁道」を専門にする職能者を「呪禁師(じゅごんし)」と呼ぶ

■日本の律令制下では、典薬寮(てんやくりょう)に正式な官職として「呪禁博士(呪禁師)」が置かれている

■典薬寮では、一般の「呪禁師」と、「呪禁師」の中で最も優秀な人物である「呪禁博士」、さらには見習い学生である「呪禁生」とに分けられていたという

■律令制においては、「呪禁」は病気治療や安産のために欠かせないものとされ、天皇を中心として、皇族や貴族などの支配層の生活文化に浸透していた

■「呪禁道」は平安時代には受け継がれずに、「陰陽道」の中に吸収されていったようである

■ワラ人形に五寸釘を打ち付ける「丑の刻参り」や、昔から伝わる様々な呪法や呪術は、奈良時代に成立した「呪禁道」にルーツがあるとされている

■「呪禁師」の用いる呪法の中には「厭魅蠱毒の術」があるが、奈良時代後期にこれを用いた事件が宮中などで続発したことから、「呪禁」そのものが危険視されるようになった

■「陰陽道」の台頭が、「呪禁」の衰退に拍車をかけた

■「呪禁」は、「陰陽道」のルーツの1つでもあり、その影響は、「陰陽道」の中に残る「呪法的要素」や病気平癒などの「医療呪術」、「道教的な祭礼スタイル」などにみることができる

■「呪禁」の重要な技法として知られているのが、「存思」「禹歩」「営目」「掌訣」「手印」という五法で、「存思」はイメージ訓練、「禹歩」は歩行法、「営目」は片目ずつ開閉すること、「掌訣」は指の15の関節を押すこと、「手印」は印を結ぶことを指すとされている

■「呪禁」には、「持禁の法」と呼ばれる「病の根源を身体に近づけないための術」と、「身体に侵入してしまった病の根源を退散させるための術」があり、それぞれは「予防」と「治療」に該当する

■「持禁の法」は本来厄災予防のためのものだが、使い方によっては「災厄をもたらすさまざまな対象をコントロールすることで、意図的に災厄を生じさせることもできるようになる」ともされており、奈良時代の事件はこれを悪用したもの

【開運】気学の方位を左右する「正しい北」と「地図」の選択

生まれた年月日から始まる

 「九星気学」において、生まれた年の「九星」のことを「本命星」、生まれた月の「九星」を「月命星」と言い、それぞれ自分の「生年月日」から割り出します。

「九星気学」の鑑定は、この「本命星」「月命星」を算出するところから始まるので、すべては「生年月日」が元になっていると言ってもいいでしょう。

「本命星」は、その人の持つ本質や背景などの「基本的な性質」をあらわしており、「運命」や「性格」に深くかかわってきます。

「月命星」は、「生まれた後の行動パターン」や、性格から来る表現に影響を与える「後天的な運勢」をあらわすと言われています。

「日命星」というものもあり、生まれた日の「九星」のことで、「日常の表層的な運勢」をあらわしているようです。

ただし、「日命星」はまだ年齢が幼いうちに影響が消えてしまうので、鑑定にはあまり用いられることがありませんが。

また、「本命星」と「月命星」の位置関係から割り出される「傾斜宮」という方法もあり、それは「月命星」よりもさらに深い行動パターンや、性格による表現を表すとされ、「運勢」「性格」「相性」などの判断に用いられます。

このように、「気学・方位学」は「吉凶」や「開運」といった捉えどころのないものを、「生年月日」を鑑定の大きなよりどころとして、特定の体系や法則に基づいた算定システムの元に、その人にとっての方位の「吉凶」を占ったり、「運勢」「性格」「相性「未来」などを知ることができます。

「タロット占い」などのように、読み取りや解読に勘や想像力・経験が必要になったりする部分もありますが、「吉」か「凶」かについては、システム通りにすれば誰でも算出できるところが「九星気学」のよいところかもしれません。

そして、単純に「吉凶」「運勢」「性格」「相性」「未来」といったものを判定するだけでなく、「どうすれば特定の運をよい状態にできるか」「何をすれば大吉になるか」「凶を吉に変えるにはどうすればいいか」などということも、手法化されています。

占うのに慣れてくれば、自分で鑑定して現状を知り、自分で吉凶の原因を探り、自分で対応を考え、自分で実行して「開運」するということもできそうですね。

【開運】気学の各方位盤における時間的範囲と吉方位の重なり

「本命星」と「月命星」の算出

 「九星気学」では、鑑定する際に、まず最初にその人の「本命星」と「月命星」を算出します。

「本命星」は、その人の「生まれた年」の「九星」、「月命星」は「生まれた月」の「九星」のことで、「生年月日」から導き出されます。

いわゆる「吉方位」「凶方位」とは、これらの「九星」にとって、相性がよい「九星」が回っている「方位」が「吉方位」で、相性が悪い「九星」が回座する「方位」や、「吉方位」であっても、「方殺」「凶殺」や「凶神」がその「方位」にあれば、「凶方位」となります。

「九星気学」は「本命星」「月命星」を元として鑑定が進んでいきますから、まずは自分の「本命星」「月命星」の「九星」を確認してみましょう。

「本命星」「月命星」が、「一白水星」「二黒土星」「三碧木星」「四緑木星」「五黄土星」「六白金星」「七赤金星」「八白土星」「九紫火星」の、どの星に該当するかによって、その人の「吉方位」のありようが違ってきます。

また、流派や鑑定者によっても諸説がありますが、一般的には「0歳~12歳」までは「月命星」のみ、「13歳~19歳」までは「本命星」と「月命星」の両方、「20歳以降」は「本命星」のみで「吉方位」を判定していくようです。

「九星気学」によって、「相性」や「性格」「未来」「運勢」などを占う際にも、「本命星」「月命星」は大切になってきます。

「九星気学」では「年」「月」「日」「時間」などの考え方が通常と違っているので、「本命星」「月命星」を割出す際には、ちょっと気をつけたほうがいいでしょう。

それほど複雑というわけではありませんが、自分で表などを見て算出するのが面倒な人のために、インターネット上に自動計算してくれるサイトがいくつかあり、生年月日を入力すると、すぐに「本命星」「月命星」が分かります。

間違いや勘違いを防ぐためにも、そうしたサイトで提供しているソフトを利用するほうが、お手軽で確実かもしれませんね。

【九星気学LAB】⇒

本命星についての考え方

【本命星】

■自分が生まれた「生まれ年」にあたる「九星」のこと

■九星気学では、占う前に必ずその人の「本命星」「月命星」を算出する

■九星気学では、その年の「立春」から一年が始まる

■通常は一年の始まりを1月1日として「生まれ年」が決まるが、「元旦」から「立春」の前日までに生まれた人は、「前年」の「生まれ年」ということになる

■「本命星」は、その人の本質を司るものと言われている

■「本命星」は、その人の宿命や基本的な性質に関わるとされる

■人は「九星」の精気を取り込んで生まれてくるという考え方に基づき、「本命星」のことを、生まれた年の精気という意味で「生年精気」とも言う

■「本命星」「月命星」を使ってその人の吉方位などを占うが、その人の年齢によって、どちらをより重視して占うかが変わる場合がある

■「0歳~12歳」までは「月命星」だけを見て「月命星」を基準とし、「本命星」は重視しない

■「13歳~19歳」までは「本命星」と「月命星」の両方を取り入れて占い、「本命星」による「吉方位」を最優先するが、「月命星」による「吉方位」もできるだけ取り入れる

■「20歳~」は「本命星」を基準として占い、「月命星」は重視しない

■「13歳~19歳」の思春期にあたる年齢では、「本命星」と「月命星」の影響が入り混じる

■思春期を過ぎて「20歳」になると成人し、精神面が安定してくると考えるため、「20歳」以降は「本命星」が主な影響を与える

■「本命星」は、人間の肉体を含めた本質を司るため、生まれたときからその影響を与え続け、死ぬまでその「本命星」に支配され続けるとされる

■「日命星」「月命星」「本命星」が「生誕~5・6歳(幼年期)」「5・6歳(幼年期)~20歳(未成年)」「20歳(成人)以降」で影響力が切り替わるという説もある

■九星気学では、「本命星」「月命星」によって、自分の「吉方位」を調べることができ、「相性占い」や「性格占い」「未来占い」「運勢占い」などもできる

月命星についての考え方

【月命星】

■自分が生まれた「生まれ月」にあたる「九星」のこと

■九星気学では、占う前に必ずその人の「本命星」「月命星」を算出する

■九星気学では、その月の「最初の二十四節気」から一月が始まる

■月の「最初の二十四節気」の日は「節入り」と呼ばれる

■通常は一月の始まりを1日として「生まれ月」が決まるが、「1日」からその月の「最初の二十四節気」の前日までに生まれた人は、「前月」の「生まれ月」ということになる

■「月命星」は、「本命星」と「生まれ月」によって算出する

■「二十四節気」の日は年によって変わるので、「月命星」算出の際には注意する

■「月命星」は、その人の精神面を司るものとされている

■「月命星」は、その人の基本的な性格や精神面に影響があらわれて、配偶者や恋人に対する関わり方に関係すると言われている

■人は九星の精気を取り込んで生まれるという考え方に基づき、「月命星」のことを、生まれた月の精気という意味で「生月精気」と呼ぶ

■「本命星」「月命星」を使ってその人の吉方位などを占うが、その人の年齢によって、どちらをより重視して占うかが変わる場合がある

■「0歳~12歳」までは「月命星」だけを見て「月命星」を基準とし、「本命星」は重視しない

■「13歳~19歳」までは「本命星」と「月命星」の両方を取り入れて占い、「本命星」による「吉方位」を最優先するが、「月命星」による「吉方位」もできるだけ取り入れる

■「20歳~」は「本命星」を基準として占い、「月命星」は重視しない

■「12歳」までに精神面の基盤が育まれると考えるため、「生誕」から「12歳」までは「月命星」が主な影響を与える

■「13歳~19歳」の思春期にあたる年齢では、「本命星」と「月命星」の影響が入り混じる

■「月命星」の影響は、「12歳」までに消え始めていき、「20歳」くらいでほぼ完全になくなるという見方が一般的

■最大で見積もっても、「30歳」を過ぎたら「月命星」の影響は一切忘れても構わない

■「日命星」「月命星」「本命星」が「生誕~5・6歳(幼年期)」「5・6歳(幼年期)~20歳(未成年)」「20歳(成人)以降」で影響力が切り替わるという説もある

■「月命星」は精神を司るため、精神の基盤を構築する幼少期にその影響がピークに達し、思春期を過ぎると精神や性格が固まっていき、その影響力がなくなっていく

■精神年齢によって「月命星」の影響度が変わるので、大人の年齢になっても大人っぽい感じがなく、大人として行動ができない精神年齢が低い人物の場合は、「月命星」の影響は残るとされている

■九星気学では、「本命星」「月命星」によって、自分の「吉方位」を調べることができ、「相性占い」や「性格占い」「未来占い」「運勢占い」などもできる

■九星気学では、「20歳」以降に「月命星」が不要になるのは「吉方位」を割出す場合であり、「相性占い」「性格占い」「未来占い」「運勢占い」などでは、「本命星」と「月命星」によって算出した「傾斜」などの星を使う

日命星についての考え方

【日命星】

■自分が生まれた「生まれ日」にあたる「九星」のこと

■九星気学では、占う前に必ずその人の「本命星」「月命星」を算出するが、「日命星」は影響が小さいのでそれほど重視されず、通常は算出されない

■「日命星」が影響を与えるのは、「5~6歳」までの幼年期とされている

■「日命星」の影響は、生まれて数ヶ月で消えてゆくという見解もあるが、どちらにしても、あまり影響を考える必要はない

■「日命星」の影響を受けるのは、身体を作る大切な時期なので、その人の「体質」に深く関わると言われている

節入り(月の始まり)について

【節入り(月の始まり)】

■【2月】立春(2月4日前後)
■【3月】啓蟄(3月6日前後)
■【4月】清明(4月5日前後)
■【5月】立夏(5月6日前後)
■【6月】芒種(6月6日前後)
■【7月】小暑(7月7日前後)
■【8月】立秋(8月8日前後)
■【9月】白露(9月8日前後)
■【10月】寒露(10月8日前後)
■【11月】立冬(11月7日前後)
■【12月】大雪(12月7日前後)
■【1月】小寒(1月6日前後)

見解が不統一なところは困るかも

 占いを進める上で、ちょっと困ったこともあります。

じつは「九星気学」では、占う際に非常に重要になる部分について、統一見解がありません。

気学は「北の取り方」や「地図の選び方」「方位盤の各方位の角度」などに諸説があるために、流派のような違いがあり、それによって、肝心の「移動先の方位」が変わってきてしまいます。

ですので、どの流派、どの先生の言っていることが正しい「気学・方位学」なのかは、ちょっと判断が難しいところがあります。

ちょっとコワイ気がしますが、自分である程度実践してみて、初めて運が上がったかどうかの判断がつき、実践したのが正しい方法だったのかどうかが分かるという寸法です。

言い方を変えれば、統一見解がない現状では、「吉方位」だと思って行ってみたら、じつは「凶方位」だったということも起こりますが、この点は「占いの結果を左右する重要な部分」がはっきりしていないので仕方がなく、注意深く使っていくしかないでしょう。

「気学・方位学」は核心に関わる重要な部分が「口伝」であったためか、もしくは、関係者の間では当たり前であったためにわざわざ伝承されなかったため、このような見解の相違が生じてしまったのかもしれません。

私は日本古武道をやっていましたが、核心に触れる部分は「口伝」でしたので、実情はそれとよく似ている気がします。

そういう理由から、気学・方位学を使って、いきなり「長距離」「長時間」の「移動」や「引越」などを行わないほうがよく、自分で確信が持てるまでは、「短距離」「短期間」の「移動」にとどめておき、だんだんと「移動距離」や「滞在時間」を延ばしていく方がよさそうです。

現代の暦とはかなり違う

 「九星気学」では、使う「暦」は通常のカレンダーとは違い、「二十四節気」をもとに、「年」「月」が割り出されます。

「気学」で「本命星・月命星の算出」「移動予定日時の吉方位・凶方位の割り出し」などを行うときは、カレンダーそのままの「年月日」を使うわけではないんですね。

「気学」では、カレンダーの各月の初めごろにある「二十四節気の日」を境に月が始まりますが、この日を「節入り」と呼んでいます。

一年の始まりは、普通は「1月1日の元旦」ですが、「気学」では「2月の節入り(立春)の日」からであり、この日を境に「年」が変わり「年盤」が入れ替わります。

つまり、一年は「1月~12月」ではなくて、「2月~翌年1月」なので、この点は注意が必要なところになりそうですね。

ちなみに、一月の変わり目は「その月の最初の節気の日」であり、この日を境に「月盤」が新しいものに入れ替わります。

「日盤」の場合、一日の変わり目は夜の「23時」になり、この時間を境に、「日盤」が入れ替わってしまいます。

その月の「1日」や、夜の「0時」ではないので、「九星気学」流の「暦」に慣れないと、勘違いしたり、間違えてしまうかもしれません。

「時盤」にも入れ替わりが2時間ごとにやってきますが、細かく言えば違うものの、通常は時計の秒針が「0分0秒」になると「時盤」が切り替わると考えます。

また、「年盤」「月盤」「日盤」「時盤」はすべて、すぐに「パッ」と切り替わるわけではなく、徐々に新しいものに変化していきます。

つまり、切り替わると言われている時の前後で、前の方位盤と次の新しい方位盤のそれぞれの「気」が混在する時間帯が存在しますので、注意が必要かもしれません。

「気」が混じるとされる期間や時間帯には諸説あり、流派や鑑定人によっても違ってきます。

「年盤」の入れ替わりは「立春」の「前後1週間」、「月盤」の入れ替わりは「節入り」の「前後1日」、「日盤」は夜「23時」の「前後20分」、「時盤」は「0分0秒」の前後「5分」くらいが、おおよその目安となるでしょう。

これらの「年盤」「月盤」「日盤」「時盤」が完全に入れ替わるまでの移行時間を考慮に入れて、確実に入れ替わった後で、「吉方位」を取るのが一番安全でよさそうです。

一年についての考え方

【一年の捉え方】

■一年の始まりは、「2月の最初の二十四節気(立春)」の日から

■一年間は、通常のカレンダーで言えば「2月~翌年1月」ということになる

■その年の「1月1日(元旦)」の日から、「立春」の日より前の日までは、前年であり、「年盤」や「干支」なども前年のもの

■「立春」になったからといって、すぐに「年」が切り替わるわけではなく、徐々に変化するので、「立春の前後数日」くらいは「前の年」と「新しい年」の気が入り混じると言われる

■「前の年」と「新しい年」の「年盤」が影響しあうので、「立春の前後数日」は「吉方位」であっても、純粋な「吉方位」にならない可能性があり、できれば「吉方位」の使用を避けたほうがいいかもしれない

■完全に「年盤」が切り替わるのを待って、「吉方位」を取るのが無難と言える

■その年の「立春」の日から次の年の「立春の前日」までを、その年の「年盤」で鑑定し、次の年の「立春」から再来年の「立春の前日」までを、次の年の「年盤」で鑑定する

■どれくらいの期間「気」が混じるのかについては諸説あるが、「年盤」の場合は、数日かけて切り替わるため、可能であれば「前後1週間」ずつくらいは「吉方位」を使わないほうがよいかもしれない

■「年盤」の「気」が混じるのは、「節入り」の「前144時間(6日間)」「後ろ72時間(3日間)」という見解もある

■「節入り前」の方が「節入り後」よりも、「気」が混じる期間が多く、およそ2倍になると考える占い師は多いようである

■「子」「丑」「寅」「卯」「辰」「巳」「午」「未」「申」「酉」「戌」「亥」の「十二支」と「甲」「乙」「丙」「丁」「戊」「己」「庚」「辛」「壬」「癸」の「十干」が組み合わさって、その年一年を支配する干支が1年交替で順にめぐり、60年で一回りする

一月についての考え方

【一月の捉え方】

■一月の始まりは、「各月の最初の二十四節気(節入り)」の日から

■一か月は、通常のカレンダーで言えば「各月の最初の二十四節気」の「当日」~「次の月の最初の二十四節気」の「前日」ということになる

■その月の「1日」の日から、「最初の二十四節気」の「前日」までは「前月」であり、「月盤」や「干支」なども「前月」のもの

■「節入り」になったからといって、すぐに「月」が切り替わるわけではなく、徐々に変化するので、「節入りの前後1日」くらいは「前の月」と「新しい月」の気が入り混じると言われる

■「前の月」と「新しい月」の「月盤」が影響しあうので、「節入りの前後1日」は「吉方位」であっても、純粋な「吉方位」にならない可能性があり、できれば「吉方位」の使用を避けたほうがいいかもしれない

■完全に「月盤」が切り替わるのを待って、「吉方位」を取るのが無難と言える

■その月の「節入り」の日から次の月の「節入り」の「前日」までを、その月の「月盤」で鑑定し、次の月の「節入り」から再来月の「節入り」の「前日」までを、次の月の「月盤」で鑑定する

■どれくらいの期間「気」が混じるのかについては諸説あるが、「月盤」の場合は、1日かけて切り替わるため、可能であれば「前後1日」ずつくらいは「吉方位」を使わないほうがよいかもしれない

■「月盤」の「気」が混じるのは、「節入り」の「前12時間」「後ろ6時間」という見解もある

■「節入り前」の方が「節入り後」よりも、「気」が混じる時間が多く、およそ2倍になると考える占い師は多いようである

■「子」「丑」「寅」「卯」「辰」「巳」「午」「未」「申」「酉」「戌」「亥」の「十二支」と「甲」「乙」「丙」「丁」「戊」「己」「庚」「辛」「壬」「癸」の「十干」が組み合わさって、その月一か月を支配する干支が1月交替で順にめぐり、60か月で一回りする

■1年は12カ月なので、「十二支」については、毎年同じ月は同じ「十二支」の月になる

一日についての考え方

【一日の捉え方】

■一日の始まりは、「前日の夜23時」から

■「2時間」ごとに、「子」「丑」「寅」「卯」「辰」「巳」「午」「未」「申」「酉」「戌」「亥」の「十二支」それぞれが支配する時間帯が順に訪れる

■一日24時間に「十二支」を当てはめて、「一刻(いっこく)」を「2時間」ずつとし、「十二支」の影響力が最も強い真ん中の時間を「真夜中(正子)」にして、一日が始まることにしたため、一日の始まる「子の刻(ねのこく)」が、前日の夜23時から始まることになったのではないか

■一日は、通常の時計で言えば「前日の夜23時」~「次の日の夜23時」の「直前」までということになる

■前の日の夜「23時」から、その日の夜「23時」の「直前」までは「当日」であり、「日盤」や「干支」なども「当日」のもの

■「子の刻(ねのこく)」になったからといって、すぐに「日」が切り替わるわけではなく、徐々に変化するので、「子の刻が始まる前後20分」くらいは「前の日」と「新しい日」の気が入り混じると言われる

■「前の日」と「新しい日」の「日盤」が影響しあうので、「子の刻が始まる前後20分」は「吉方位」であっても、純粋な「吉方位」にならない可能性があり、「日盤」を活用する際には、できれば「吉方位」の使用を避けたほうがいいかもしれない

■完全に「日盤」が切り替わるのを待って、「吉方位」を取るのが無難と言える

■その日の「子の刻の始まり」から次の日の「子の刻の始まり」の「直前」までを、その日の「日盤」で鑑定し、次の日の「子の刻の始まり」から明後日の「子の刻の始まり」の「直前」までを、次の日の「日盤」で鑑定する

■どれくらいの期間「気」が混じるのかについては諸説あるが、「日盤」の場合は、「20分」ほどかけて切り替わるため、可能であれば「前後20分」ずつくらいは「吉方位」を使わないほうがよいかもしれない

■「日盤」の「気」が混じるのは、「子の刻の始まり」の「前24分間」「後12分間」という見解もある

■「子の刻が始まる前」の方が「子の刻になった後」よりも、「気」が混じる時間が多く、およそ2倍になると考える占い師は多いようである

■「子」「丑」「寅」「卯」「辰」「巳」「午」「未」「申」「酉」「戌」「亥」の「十二支」と「甲」「乙」「丙」「丁」「戊」「己」「庚」「辛」「壬」「癸」の「十干」が組み合わさって、その日一日を支配する干支が1日交替で順にめぐり、60日で一回りする

時間についての考え方

【時間の捉え方】

■「一刻(いっこく)」の始まりは、「0分0秒」から

■「2時間」ごとに、「子」「丑」「寅」「卯」「辰」「巳」「午」「未」「申」「酉」「戌」「亥」の「十二支」それぞれが支配する時間帯が順に訪れる

■一日24時間に「十二支」を当てはめて、「一刻(いっこく)」を「2時間」ずつとし、「十二支」の影響力が最も強い真ん中の時間を「真夜中(正子)」にして、一日が始まることにしたため、一日の始まる「子の刻(ねのこく)」が、前日の夜23時から始まることになったのではないか

■「一刻(いっこく)」は、通常の時計で言えば「0分0秒」~「2時間後の0分0秒」の「直前」までということになる

■厳密にいえばピッタリの時間ではないとされているが、「0分0秒」~「2時間後の0分0秒」の「直前」までは、「時盤」や「干支」なども「その刻(こく)」のものになる

■「その刻(こく)の始まり」になったからといって、すぐに「刻(こく)」が切り替わるわけではなく、徐々に変化するので、「その刻が始まる前後5分」くらいは「前の刻(こく)」と「新しい刻(こく)」の気が入り混じると言われる

■「前の刻(こく)」と「新しい刻(こく)」の「時盤」が影響しあうので、「その刻が始まる前後5分」は「吉方位」であっても、純粋な「吉方位」にならない可能性があり、「時盤」を活用する際には、できれば「吉方位」の使用を避けたほうがいいかもしれない

■完全に「時盤」が切り替わるのを待って、「吉方位」を取るのが無難と言える

■どれくらいの期間「気」が混じるのかについては諸説あるが、「時盤」の場合は、「5分」ほどかけて切り替わるため、可能であれば「前後5分」ずつくらいは「吉方位」を使わないほうがよいかもしれない

■「時盤」の「気」が混じるのは、「刻の始まり」の「前6分間」「後3分間」という見解もある

■「その刻が始まる前」の方が「その刻になった後」よりも、「気」が混じる時間が多く、およそ2倍になると考える占い師は多いようである

■「子」「丑」「寅」「卯」「辰」「巳」「午」「未」「申」「酉」「戌」「亥」の「十二支」と「甲」「乙」「丙」「丁」「戊」「己」「庚」「辛」「壬」「癸」の「十干」が組み合わさって、「その刻(こく)」を支配する干支が2時間交替で順にめぐり、「120時間」で一回りする

二十四節気について

【二十四節気】

■「にじゅうしせっき」と読む

■「二十四節気」は「和暦」とともに古代の中国大陸から伝えられたものであり、日本の「旧暦」で季節を表してその指標とするために用いる

■「二十四節気」は太陽の動きをもとにしており、「太陽が移動する天球上の道(黄道)」を24等分したもの

■「夏至」と「冬至」は「二至」、「春分」と「秋分」の「二分」という

■「二至」「二分」に「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の「四立」を加えて、「八節」とする

■「八節」のうちの「一節」は「約45日」あり、これを「約15日」ずつに3等分したものが「二十四節気」

■「二十四節気」を、さらに「約5日」ずつに3等分し、時候を表したものが「七十二候」

■毎年同じ時期に同じ「節気」が巡ってくるが、毎年同じ日とは限らず、昨年と同じ日にならないことも多い

■「二十四節気」と同様に季節の移り変わりの目安となる、「雑節(ざっせつ)」と呼ばれる日本独自に付け加えられた季節指標があり、その時期は「二十四節気」が元になっている

■「節分」とは季節の節目である「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の「前日」のことを指し、本来は年に4回あるが、日本の旧暦では春から新しい年が始まったため、春の節分は「大晦日」に相当する大事な日と考えられ、「立春」の「前日」の「節分」が他よりも重視されたので、単に「節分」といえばこの日のことになった

■「彼岸」は春と秋に年2回あり、「春の彼岸」は「春分」を含めて前後7日間(前3日、後ろ3日)、「秋の彼岸」は「秋分」を含めて前後7日間(前3日、後ろ3日)

■「土用」は、「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の「四立」の前の約18日間

■【2月】「立春」~「啓蟄」の前日

【立春(りっしゅん)】⇒2月4日ごろ
寒さも峠を越え、春の気配が感じられるころ

【雨水(うすい)】⇒2月19日ごろ
陽気がよくなり、雪や氷が溶けて水になり、雪が雨に変わるころ

■【3月】「啓蟄」~「清明」の前日

【啓蟄(けいちつ)】⇒3月5日ごろ
冬ごもりしていた地中の虫がはい出てくるころ

【春分(しゅんぶん)】⇒3月21日ごろ
太陽が真東から昇って真西に沈み、昼夜がほぼ等しくなる日

■【4月】「清明」~「立夏」の前日

【清明(せいめい)】⇒4月5日ごろ
すべてのものが生き生きとして、清らかに見えるころ

【穀雨(こくう)】⇒4月20日ごろ
穀物をうるおす春雨が降るころ

■【5月】「立夏」~「芒種」の前日

【立夏(りっか)】⇒5月5日ごろ
暦の上では夏となり、夏の気配が感じられるころ

【小満(しょうまん)】⇒5月21日ごろ
すべてのものがしだいにのびて天地に満ち始めるころ

■【6月】「芒種」~「小暑」の前日

【芒種(ぼうしゅ)】⇒6月6日ごろ
稲などの(芒のある)穀物を植えるころ

【夏至(げし)】⇒6月21日ごろ
太陽が最も高い位置にあり、昼の長さが最も長くなる日

■【7月】「小暑」~「立秋」の前日

【小暑(しょうしょ)】⇒7月7日ごろ
梅雨があけて、暑気に入りだんだん暑さが本格的なっていくころ

【大暑(たいしょ)】⇒7月23日ごろ
夏の暑さがもっとも極まるころ

■【8月】「立秋」~「白露」の前日

【立秋(りっしゅう)】⇒8月8日ごろ
この日から暦の上では秋となり、秋の気配が感じられるころ

【処暑(しょしょ)】⇒8月23日ごろ
日中はまだまだ暑いものの、それ以外は暑さがおさまるころ

■【9月】「白露」~「寒露」の前日

【白露(はくろ)】⇒9月8日ごろ
秋が深まり、「しらつゆ」が草花につき始めるころ

【秋分(しゅうぶん)】⇒9月23日ごろ
秋の彼岸の中日、昼夜がほぼ等しくなる日

■【10月】「寒露」~「立冬」の前日

【寒露(かんろ)】⇒10月8日ごろ
秋が深まり、野草に冷たい露がむすぶころ

【霜降(そうこう)】⇒10月24日ごろ
晩秋を迎え、早朝に霜が降り始めるころ

■【11月】「立冬」~「大雪」の前日

【立冬(りっとう)】⇒11月7日ごろ
暦の上では冬となり、冬の気配が感じられるころ

【小雪(しょうせつ)】⇒11月22日ごろ
木々の葉が落ち、寒くなって雨が雪になるころ

■【12月】「大雪」~「小寒」の前日

【大雪(たいせつ)】⇒12月7日ごろ
本格的に冬の到来し、雪がいよいよ降りつもってくるころ

【冬至(とうじ)】⇒12月21日ごろ
太陽が最も低い位置にあり、昼が一年中で一番短くなる日

■【1月】「小寒」~「立春」の前日

【小寒(しょうかん)】⇒1月5日ごろ
「寒の入り」で寒さが厳しくなり、寒気がましてくるころ

【大寒(だいかん)】⇒1月21日ごろ
冷え込みもはげしく冷気が極まって、最も寒さが厳しいころ

この記事のまとめ

「気学・方位学」は、「自分の運」を「自分で何かをすること」で上げることができる貴重な方法の1つ

気学とは、古代中国の思想である「九星」「陰陽五行」などを元に、大正末期に日本で考え出された方位術

気学は、「北の取り方」「地図の選び方」「各方位の角度」などに諸説があり、どれが正伝か判断できない

「方位学」は、気学の他にも「奇門遁甲の術」など多数が存在しており、気学は方位学の1流派とも言える

気学は、生年月日を元にした「本命星」「月命星」を割り出して、それを吉凶を占う重要な要素にしている