ラテ
1977年、テレビの前でキャンディーズの「解散宣言」を見つめていたあの日の空気を、今も忘れられないという方は多いでしょう
三人が涙をこらえながら語った「普通の女の子に戻りたい」という言葉は、70年代を生きた私たちの胸に深く刻まれています
うに
マロン
あの瞬間を思い出すと、当時の番組、街の風景、家族の声、そして彼女たちの名曲が流れていた日々が、そっとよみがえってきます──あなたはどの曲とともに、あの頃を思い出しますか?
この記事では、彼女たちが70年代中期にどのように時代を彩り、なぜ多くの女性の心をつかみ続けたのかを、解散宣言の衝撃と名曲の思い出とともに振り返ります
とろ
もも
あの頃の気持ちをもう一度たどりながら、キャンディーズという存在が私たちに残してくれたものを静かに見つめていきましょう
この記事を読んでほしい人
このアーティストについて興味があって知りたい人 彼女たちにはどんな「エピソード」があるのか気になる人 「1970年代アイドル」が好みの人 彼女たちの全シングルを聞きたい人 「懐メロ」や「1970年代ヒット曲」が大好きな人
【関連記事】
⇒【1978年(昭和53年)】胸によみがえる懐かしの名曲100|あの頃の青春がそっと蘇るヒット曲ランキング
⇒【1977年(昭和52年)】懐かしの名曲・ヒット曲ランキング100|胸がきゅっとなる青春の思い出がそっと蘇る昭和のメロディー
⇒【1976年(昭和51年)】懐かしの名曲・ヒット曲ランキング100|胸がきゅっとなるあの頃の思い出と昭和のメロディー
⇒【1975年(昭和50年)】懐かしの名曲・ヒット曲ランキング100|胸がふっと温かくなるあの頃の思い出と昭和のメロディー
⇒【1973年(昭和48年)】懐かしの名曲・ヒット曲ランキング100|胸がふっと温かくなるあの頃の思い出と昭和のメロディー
ラテ
あの頃の日本は、テレビから流れる歌番組が家族の時間を彩り、アイドルが時代の象徴だった時代でした
70年代の日本は、歌番組が毎晩の楽しみで、テレビの前に家族が集まる温かな時間が流れていましたね
ジジ
ナナ
高度成長が落ち着き、暮らしに少し余裕が生まれ、70年代のはじめから始まった歌番組やアイドル文化が花開いたのが70年代中期ごろでしたよね
70年代中期における代表的アイドル チャコ
そんな70年代中期のアイドルシーンの中で、彼女たちは“ただの人気者”ではなく、時代そのものを象徴する存在として輝きを放っていました
歌番組が家庭の中心にあった時代、彼女たちの笑顔や歌声は、日々の暮らしにそっと寄り添い、多くの女性の心を明るく照らしていたのです
りん
そら
レコードデビューは1973年(昭和48年)であり、伊藤蘭(「ラン」デビュー時18歳、解散時23歳)、田中好子(「スー」デビュー時17歳、解散時22歳)、藤村美樹(「ミキ」デビュー時17歳、解散時22歳)の3人がメンバーでした
3人とも仲がよく、解散までメンバーチェンジなどはしていません
とろ
抹茶
70年代のアイドル・グループとしては、当時社会現象を巻き起こし「怪物」とまで呼ばれた「ピンク・レディー」とともに、最も成功したと言ってもいいですよね
テレビから流れる歌番組が毎日の楽しみだった時代に、彼女たちは“親しみやすさ”と“憧れ”を同時に持つ特別な存在でした
いくら
茶々
三人の明るい笑顔や息の合ったハーモニーは、当時の女性たちの心にそっと寄り添い、日常を彩る大切な光になっていたのです
70年代の歌番組が最も活気づいていた時代、まだ無名だった三人が少しずつ注目を集め始め、彼女たちの物語は静かに動き出していきました
メル
■デビュー とろ
デビュー当時の三人は、まだどこか素朴で初々しく、歌番組に映るたびに“身近な女の子たち”のような親しみを感じさせていました
大きな期待に胸を躍らせながらも、不安を抱えつつ一歩ずつ前へ進んでいく姿は、当時の女性たちの心にそっと寄り添うものでしたね
あんこ
すず
彼女たちは元々、歌手志望で東京音楽学院に通っていた3人が、人気スターのバックダンサーなどを務めるなど、スクールメイツとして活動する中で出会い、結成に至りました
東京音楽学院のスクールメイツに在籍中だった1972年(昭和47年)4月に、NHKの新番組「歌謡グランドショー」のマスコットガールとして3人揃って抜擢されたときに、番組のプロデューサーによって「キャンディーズ」と命名されています
キウイ
ぷりん
「食べてしまいたいほどかわいい女の子たち」という意味で名付けられたそうです
この頃は、3人ともスクールメイツの中で特別に目立つ存在ではなく、「歌謡グランドショー」でも、ただのマスコットガール兼アシスタント(椅子・マイク運び・代理音合わせ)にすぎず、まったく歌手デビューの予定はなかったようです
モカ
たま
それからしばらくたったころ、たまたま東京音楽学院にやってきた渡辺音楽出版の松崎澄夫が、教室に入ってきた彼女たち3人を見て目に留め、担当者に彼女たちのことを聞き出し、そのまますぐに歌手デビューを決めてしまい、彼女たちは1973年9月1日に「あなたに夢中」でレコードデビューしています
■【デビュー前の映像】⇒
さんた
デビュー当時の三人は、まだあどけなさが残り、番組の片隅で見せる初々しい笑顔が、テレビに登場するたびに“応援したくなる存在”として、少しずつお茶の間の心をつかんでいきました
レコードデビュー前から、当時大人気だったバラエティ番組『8時だョ!全員集合』にもレギュラー出演しており、グループ名は割と知られていましたが、肝心の音楽に関してはデビュー後しばらくはヒットに恵まれなかったですね
むぎ
おもち
──だけど、緊張しながらも一生懸命に歌う姿は、見る者の胸に温かな共感を呼び起こし、お茶の間の人気をつかみ始めていました──
そして、1975年(昭和50年)に発売した5枚目のシングル「年下の男の子」で、最高位9位となり、初のオリコンベストテン入りを果たします
ひなた
くるみ
「年下の男の子」の大ヒットがきっかけとなり、ファンクラブ会員数は激増し、とりわけ大学生の熱心なファンが堂々とファンであることを公言して、親衛隊を名乗り結成する者たちも、けっこうたくさんいたそうです
■【年下の男の子】⇒
■「アイドルの時代」の始まり もも
70年代中期は、まさに“アイドルの時代”が本格的に幕を開けた頃でした──毎週のように新しいアイドルが歌番組に登場し、お茶の間では「次はどんな子が出てくるの?」とワクワクしながらテレビを囲んでいたものです
そんな華やかな流れの中で、彼女たちは明るさと親しみやすさを兼ね備えた存在として、ひときわ強い輝きを放ち始めました
そら
りん
現代的な意味でのアイドルの成立は1971年の「天地真理」や「小柳ルミ子」「南沙織」などのデビューのときとされています
特に、天地真理の人気はすさまじく、テレビで天地真理の顔を見ない日はなかったし、街中で歌がながれて、レコードや関連グッズも飛ぶように売れていました
みるく
ひめ
当時、子供たちはこぞって、「真理ちゃんグッズ」を買い求めていましたよね
「アイドルの時代」が始まり、歌番組が最も華やかで、お笑い番組がお茶の間での団らんの中心だった時代──新しいアイドルが登場するたびに、お茶の間には小さなときめきが広がっていました──そんな中で彼女たちは、親しみやすい明るい笑顔と息の合ったハーモニーで、多くの女性の心をそっとつかんでいったのです
チョコ
■女性アイドル・グループの源流 あんみつ
まだ“女性アイドル・グループ”という言葉が一般的ではなかった時代に、三人は自然体のまま、それぞれの個性を生かしながら調和のとれた魅力を放っていました
歌番組で並んで歌う姿は、華やかさだけでなく、どこか親しみやすく、当時の女性たちにとって“身近な憧れ”として映っていたのです
ララ
茶々
三人が肩を並べて歌う姿には、華やかさだけでなく、どこか“友だちのような親しみ”がありました──それぞれの個性が自然に溶け合い、女性アイドル・グループという新しい形を、時代に先駆けて見せてくれていたのです
70年代中期、女性アイドルはソロが主流だった中で、三人は“グループとしての魅力”を新しい形で提示しました
ハナ
さくら
個性の違う三人が調和しながら歌う姿は、後のアイドル文化に大きな影響を与える源流となっていきます
彼女たちは、後の女性アイドルグループの原型ともいえる存在として、時代に新しい風を吹き込んでいきました
チャコ
■【ハートのエースが出てこない】⇒
誰がセンターをとっても歌えた! あずき
彼女たちの魅力のひとつは、三人の誰がセンターに立っても、安心して見ていられる“安定感”でした
ランの伸びやかな声、スーの柔らかく包み込むような歌い方、ミキの芯のあるハーモニー──それぞれの個性が自然に溶け合い、誰が前に出ても曲の世界がしっかり成立していたのです
ナナ
みかん
歌番組でセンターが変わるたびに、「今日は誰が主役になるのかな」とワクワクしながらテレビを見ていたあの頃の気持ちが、今でもふとよみがえります
三人の誰がセンターに立っても、曲の雰囲気が崩れることなく、むしろ新しい魅力が生まれる──それが彼女たちのすごさでした
レモン
ひな
ランの明るさ、スーの優しさ、ミキの確かな歌声。それぞれの個性が前に出るたびに、テレビの前で「今日はどんな表情を見せてくれるんだろう」と胸が弾んだものです
ソロ中心だった70年代のアイドル界で、三人の誰がセンターに立っても曲が成立するというのは、当時としては珍しいことでした
とろ
こむぎ
個性の違う三人が互いを引き立て合いながら歌う姿は、グループとしての新しい可能性を示していたのです
■【わな】⇒
■グループで歌う意味を変えた? ハル
彼女たちの歌には、三人の声が重なり合うことで生まれる“あたたかさ”がありました
ソロが主流だった時代に、三人が互いの声を引き立て合いながら歌う姿は、グループで歌うことの魅力をお茶の間に自然と伝えてくれたのです
ゆず
ルル
誰かが主役になるのではなく、三人がひとつの曲を一緒に作り上げていく──その新しいスタイルは、ファンにとっても心地よく、どこか励まされるような存在でした
事実上のラストシングルである「微笑がえし」では、センターを3人が交互にとることを「振付」におり込んで歌っていますね
マロン
うに
歌の最中にボーカルが入れ替わるのは、それまで見たこともなかった試みだったと思います
今では「モーニング娘系」や「AKB系」「坂道系」など、そういうことをするアイドル・グループも普通にありますが、彼女たち以前はメインボーカルが固定されているのが不文律であり絶対であるとされた時代でもありましたね
ココア
モカ
例えば「ザ・ピーナッツ」などがいい例なんだけど、コーラスのように複数で同時に歌うことはあっても、メインボーカルがころころ入れ替わるというグループ歌手はいませんでしたよね
このスタイルは、のちに「おニャン子クラブ」などに受け継がれ、「モーニング娘。」や「AKB48」「欅坂46」などに至る、「誰がセンターをとるか」というグループアイドルの重要な要素の1つは、彼女たちに源流があると言えそうですね
ジジ
もなか
三人の声が重なった瞬間に生まれる、あの独特の“やわらかさ”──ソロが中心だった70年代に、彼女たちは「一緒に歌うことの楽しさ」や「支え合う強さ」を、歌を通してそっと教えてくれていました
三人のハーモニーは、当時の女性たちにとって、日常の中でふっと心を軽くしてくれる存在だったのです
ぽんず
もも
黎明期だった70年代のアイドル界では、ソロ歌手が中心でしたが、彼女たちは三人の声を重ねることで“グループで歌う意味”を新しい形で提示しました──個性の違う三人が調和しながら歌う姿は、後のアイドルグループに大きな影響を与える先駆けとなりましたよね
■現代のアイドルグループへ ルナ
彼女たちが見せてくれた“3人でひとつの魅力を作り上げる”というスタイルは、その後のアイドルグループに確かな影響を残しました
個性の違うメンバーが支え合い、役割を分け合いながらステージを作る姿は、今のアイドルグループにも受け継がれています
おはぎ
くるみ
70年代のお茶の間で感じていた、あの“応援したくなる気持ち”が、時代を超えて今のファンにも同じように伝わっているのだと気づくと、どこか胸が温かくなるのです
メンバーそれぞれの役割を可視化するために、「ラン」が赤色、「スー」が青色、「ミキ」が黄色とイメージカラーが決まっていました
チョビ
プチ
このイメージカラーを決めてそれを常時身に着けることで、ともすればグループの中に埋没してしまうのをうまく避ける工夫をしたのも、彼女たちが最初だったと思います
それと、「伊藤蘭」「田中好子」「藤村美樹」ではなく、「ラン」「スー」「ミキ」と、覚えやすく呼びやすいニックネームを公式プロフィールに使用したアイドルも彼女たちがパイオニアで、これ以後のアイドルグル-プはそれが標準になっていきますね
きなこ
さんた
誰かひとりではなく、メンバー同士が支え合いながら成長していく姿に、かつて私たちが彼女たちに感じていた温かい気持ちが重なって見える瞬間があります
コンサートの始まりのときに、「ラン」「スー」「ミキ」がそれぞれ短いコメントを添えて自己紹介をし、「3人合わせて、キャンディ-ズですっ!」と言ってポーズをとっていましたが、現在のアイドルグループも全く同じことをしてるよね
ココ
むぎ
個性の違うメンバーが、それぞれの違いを可視化しながら、調和して歌い踊るスタイルは、現代のアイドルグループの基本形として受け継がれていますね
■【春一番】⇒
「ラン派」「スー派」「ミキ派」? もも
彼女たちのことを語るとき、自然と話題にのぼるのが「ラン派? スー派? ミキ派?」という、あの懐かしいやり取りです
三人それぞれに違った魅力があり、誰を好きになっても不思議ではない──そんな“選ぶ楽しさ”が、当時のお茶の間には確かにありました
ルナ
ハナ
学校や職場で「私はランちゃんが好き」「私はスーちゃん派」と笑い合っていた日々を思い出すと、あの頃の温かな空気がそっと胸によみがえります
「ラン派? スー派? ミキ派?」──この言葉を聞くだけで、当時のワクワクした気持ちがよみがえる方も多いでしょう
ひめ
ベル
三人の魅力はそれぞれ違いながらも、どこか“身近な憧れ”として私たちの心に寄り添っていました──誰を応援するかを語り合う時間そのものが、あの頃の大切な思い出のひとつだったのです
70年代のお茶の間では、「ラン派」「スー派」「ミキ派」という言葉が自然に交わされるほど、三人はそれぞれに強い個性と魅力を持っていました
りん
チャコ
誰かひとりではなく、三人それぞれにファンがいたことが、キャンディーズというグループの特別さを物語っています
■3人の内1人でも好きならファン ジジ
彼女たちの不思議な魅力は、三人のうち誰か一人を好きになると、自然と“キャンディーズ全体”を応援したくなってしまうところにありました
ランちゃんの明るさに惹かれても、スーちゃんの優しさに心が和んでも、ミキちゃんの落ち着いた雰囲気に魅了されても、気づけば三人の息の合った姿そのものが愛おしく感じられたものです
チョビ
ココア
「誰か一人でも好きなら、それで立派なファン」──そんな温かな空気が、当時のお茶の間には確かに流れていました
「ランちゃん」は一番幅広く人気があったけど、「少し大人びた人たち」からの支持が多かったみたい
こむぎ
あんみつ
「スーちゃん」は「子供たち」からの人気が絶大であり、「ミキちゃん」は「少し個性派の人たち」から好まれていたようですね
大人っぽい美人のおねえさんであった「ラン」、マイペースでおっとりした親しみやすさを持つ「スー」、知的で繊細な印象ながらも元気いっぱいの「ミキ」という3人の個性の混ざり具合が絶妙で、それが彼女たちを幅広い層の人たちに受け入れさせた理由だったんだよ
とろ
ぽんず
そのため、どんな人でも「好み」が「ラン」「スー」「ミキ」のタイプのどれかに当てはまることになり、3人がそれぞれ獲得したファンが合わさって、グループのファンのかたまりに加わり、それがグループ全体の人気をさらに押し上げていたんだって
つまり、ファンが入れる「入口」がグループ全体からの「入口」のほかに、「ラン」「スー」「ミキ」という個々のメンバーからの「入口」もあり、それだけ「入口の数」や「間口」が広がってファンが入りこみやすくなっていたということです
ララ
ハル
のちに、ファンが望む「好み」が細分化され、より意識してシステム化されていったのが、「おニャン子クラブ」「モーニング娘。」「AKB48」「欅坂46」などのアイドルの流れであったとも言えます
三人のうち誰か一人を好きになると、その人を通してグループ全体がどんどん愛しくなっていく──彼女たちにはそんな不思議な魅力がありましたし、それでいいんだということを分からせてくれましたよね
モカ
うに
推しが違っても、三人の仲の良さや息の合ったステージを見るたびに、「やっぱり彼女たちっていいな」と思わず微笑んでしまう──あの頃の“優しいファン文化”が、今でも心に残っている方は多いのではないでしょうか
個性の違う三人が調和しながら輝く姿は、ファンにとって“グループを丸ごと好きになる”という新しい応援スタイルを生み出していたのです
茶々
■【なつかしいCM】⇒
■「推しメン」の原点に! りん
今では当たり前になった“推しメン”という言葉ですが、その原点のような楽しさを、私たちはすでにキャンディーズで体験していました
三人の中から「自分の一番」を選び、テレビの前でそっと応援する──そんな小さなときめきが、日常の中に確かに存在していたのです
さくら
あずき
ランちゃんの元気な笑顔に惹かれたり、スーちゃんの優しい雰囲気に癒やされたり、ミキちゃんの落ち着いた魅力に心を奪われたり…誰を“推す”かを語り合う時間そのものが、あの頃の私たちにとって大切な思い出でした
イメージカラーやニックネームなどで、子供でも分かるように3人の区別をしやすくしたことも、グループとしてのまとまりと同時に、個性を可視化するのに役立っていました
レモン
ひな
これは、単にテレビやコンサートで3人を区別しやすくするだけでなく、私は3人のうちでこのコがいいという議論をしやすくする素地を作り出したと言えますね
この「誰が一番いいのか」をファン同士が語り合い、グループとして応援しながらも、自分の好きな人を押していくというスタイルは、後年「おニャン子系」「モーニング娘。系」「AKB系」「坂道系」などのアイドルグループが活動スタイルとして取り入れましたよね
おはぎ
ゆず
現代の“推しメン文化”につながる要素は、すでにこの時代に芽生えていましたが、今では当たり前になった“推しメン”というスタイルやその楽しさを最初に教えてくれたのは、もしかしたら彼女たちだったのかもしれませんね
三人の中から「この子が好き」と心の中でそっと決めるだけで、毎日のテレビが少し特別に感じられた──そんな甘い記憶が、今も胸の奥に残っている方も多いでしょう
ルル
マロン
三人それぞれに個性があり、ファンが自然と「自分の一番」を選ぶ楽しさが生まれていたのです──この“推しを持つ喜び”こそが、後のアイドル文化に受け継がれていきました
お茶の間で大人気に!
ジジ
70年代のお茶の間では、彼女たちの姿が当時人気のあったバラエティ番組に映るだけで、家の中がふっと明るくなるような、そんな温かな時間が流れていました
家族みんなでテレビのお笑い番組や歌番組を囲み、「今日はどんなコントをしてくれるかな」「今日はどんな曲を歌うのかな」とワクワクしながら待っていたあの感覚は、今でも胸の奥に残っている方が多いでしょう
みかん
チョコ
三人の笑顔や軽やかなトークは、忙しい日常の中に小さな楽しみを運んでくれる“家庭のアイドル”そのものでした
彼女たちは、トップアイドルになってからも、お笑い番組などのバラエティにも積極的に出演し、ドリフターズや、伊東四朗、小松政夫など、大勢のコメディアンたちと渡り合い、お茶の間の心をわしづかみにしましたよね
あんず
もなか
彼女たちが出演していた「8時だョ!全員集合」や「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」などは、当時の小学生たちの大好きな番組で、みんな毎回テレビにかじりついて見ていました
彼女たちがテレビに登場するたびに、お茶の間にはどこか柔らかな空気が流れました──家族で夕食を囲んだあと、テレビを見ながら「このコント面白い」「この曲好きだったね」と話す時間は、忙しい毎日の中でほっと心がほどけるひととき──三人の明るい笑顔は、そんな日常の中に小さな幸せを運んでくれる存在でした
メイ
おもち
70年代のお茶の間において、彼女たちは“家族で楽しめるアイドル”として特別な存在でした──歌番組やバラエティ番組で見せる親しみやすい姿は、幅広い世代に愛され、家庭の中に自然と笑顔を生み出していましたよね
■【みごろ!たべごろ!笑いごろ!】⇒
■バラエティの素質ありすぎ! ちょこ
歌だけでなく、バラエティ番組で見せる三人の姿も、彼女たちの大きな魅力でした
ちょっとした掛け合いや、思わず笑ってしまうようなリアクション、照れながらのツッコミ──どれも自然体で、見ているこちらまでつられて笑顔になってしまうような温かさがありました
ハナ
ココ
忙しい毎日の中で、三人の明るいトークはお茶の間に小さな笑いを運んでくれる“癒やしの時間”だったのです
バラエティの素質は3人とも相当あったようで、のちに「ドリフターズ」や「伊東四朗」などは、それぞれインタビューの中で彼女たちを絶賛しています
あんこ
ミイ
当時のアイドルはどちらかと言えばお人形のようなもので、ただニコニコしているだけだったり、「やだぁー」とか言って恥ずかしそうにしているだけの人たちが多かったそうです
ましてや、「ドリフターズ」などの一流コメディアンと同じレベルで、積極的にお笑いにからんで、笑いをとりにくるようなアイドルは皆無だったようですね
ミント
ミミ
バラエティ番組で見せる三人のやり取りは、どこか“友だち同士の会話”のような親しみがありました
歌っているときとはまた違う素顔の明るさに触れるたびに、テレビの前で思わず笑ってしまう──そんな、日常の中の小さな幸せを運んでくれる存在だったのです
とろ
いくら
70年代のバラエティ番組において、彼女たちは“親しみやすさ”と“明るさ”を兼ね備えた存在として特に人気があり、自然体のトークやリアクションは幅広い世代に愛され、歌手としてだけでなく、バラエティタレントとしての魅力も確立していきました
■【ドリフ大爆笑】⇒
■バラドルとしてもパイオニア的 抹茶
歌番組だけでなく、バラエティでも自然体の明るさを見せてくれた彼女たちは、まさに“バラドル”という言葉が生まれる前から、その魅力を体現していた存在でした
司会者との軽妙な掛け合いや、ちょっとしたコントに挑戦する姿は、歌手という枠を超えてお茶の間に親しみを届けてくれるものでした
キウイ
もも
三人が笑いながら番組を盛り上げるたびに、テレビの前の私たちも思わず笑顔になってしまう──そんな温かな時間が、確かにそこにありました
現在では、バラエティに積極的なアイドルもたくさんいますが、この点から見ても、彼女たちがパイオニアだったと言えそうです
すず
あずき
80年代に入ると、お笑いにアイドルが積極的にからんでいくようになりますけど、彼女たちがいなければ、その流れも変わっていたかもしれませんね
歌だけを歌っていたのではないというところも、いまだに多くの人に魅力的に感じられている理由なんでしょうね
たま
とろ
バラエティ番組で見せる三人の姿は、どこか“友だち同士のじゃれ合い”のような親しみがありました──歌っているときとはまた違う素顔の明るさに触れるたびに、テレビの前で思わず笑ってしまう──そんな、日常の中の小さな幸せを運んでくれる存在だったのです
70年代のテレビ界では、トップアイドル歌手がバラエティに力を入れて積極的に進出することは、まだまだ珍しい時代でしたが、彼女たちはその先駆けともいえる存在でした
ぷりん
マロン
自然体のトークや明るいリアクションは幅広い世代に愛され、歌手としてだけでなく、バラエティタレントとしての魅力も確立していきました
■【8時だョ!全員集合】⇒
他ジャンルのアーティストとの交流 キウイ
70年代の音楽番組では、ジャンルの垣根を越えてさまざまなアーティストが同じステージに立ち、思いがけない組み合わせが生まれることも珍しくありませんでした
そんな中で彼女たちは、フォークやロック、歌謡曲のアーティストたちとも自然に溶け合い、番組の空気を明るくしてくれる存在でした
もこ
そら
共演者との軽やかな掛け合いや、意外なコラボレーションに思わず笑顔になったあの瞬間は、当時の音楽シーンの豊かさを象徴するものだったように思います
楽曲面のクロスオーバーで言えば、大ヒットした「やさしい悪魔」や「アン・ドゥ・トロワ」を作曲したのは、「吉田拓郎」でしたね
クロ
モカ
「吉田拓郎」は、「ニューミュージック系」のパイオニア的なミュージシャンで、彼がいなければ現在の「J‐POP」は違ったものになっていたとも言われる人ですね
ニューミュージックは、1980年代に入ると全盛を迎えますが、簡単に言えば「フォークソング」と「ロック」の融合したもので、さらに「ニューミュージック」と「歌謡曲」が融合して現在の「J‐POP」に至ります
おもち
とろ
彼女たちは、既に成功している他のジャンルの現役ミュージシャンやシンガーソングライターに曲を書いてもらってヒットさせた、1970年代の大きな成功例の1つとなりました
「山口百恵」が「横須賀ストーリー」の大ヒットで「歌謡ロック」をものにしたように、じつは結構むずかしいと言われる「楽曲」や「イメージ」の幅を広げることに成功していますね
もも
チョコ
「フォーク」「ニューミュージック」の優しい音色や「ロック」の力強さと混ざり合う彼女たちの歌声は、テレビの前の私たちに新鮮な驚きとワクワクを届けてくれたものです
バラエティもそうでしたが、ほかのジャンルのアーティストとの交流は、彼女たちの柔軟さと親しみやすさを際立たせ、音楽シーンに新しい風をもたらしていましたね
とろ
■【アン・ドゥ・トロワ】⇒
■【やさしい悪魔】⇒
解散宣言が与えた衝撃! とろ
1977年のあの日、テレビの前で彼女たちの「解散宣言」を聞いた瞬間の衝撃は、今でも忘れられないという方が多いでしょう
三人が涙をこらえながら語った「普通の女の子に戻りたい」という言葉は、明るく元気な姿しか見せてこなかった彼女たちの“本当の気持ち”に触れたようで、お茶の間に静かなざわめきを広げました
メル
さくら
家族と並んでテレビを見つめながら、胸の奥がぎゅっと締めつけられたあの感覚──その瞬間の空気は、今も心のどこかに深く刻まれているはずです
1975年2月21日リリースの「年下の男の子」以来、順調に「ヒット」を重ねて、人気絶頂になりつつあった1977年の夏に、彼女たちは、突然「解散を宣言」をします
いくら
キウイ
突然の「解散宣言」は、彼女たち3人にとっても、お茶の間の彼女たちのファンにとっても、思いもよらぬ方向へ転がっていきました
この無作為の作為が、結果的に大成功したことによって、彼女たちは「昔人気があった人たち」で終わらずに、現代まで人々の記憶に残る「伝説的なアイドル・グループ」になった──「解散宣言」は、まさにその瞬間でした
ぷりん
ひなた
あの「解散宣言」を初めて聞いた瞬間、テレビの前が一瞬静まり返った──そんな記憶を持つ方も多いでしょう──いつも明るく笑っていた三人が涙を浮かべながら語った言葉は、まるで友だちの本音を聞いたような切なさがありました
1977年の「解散宣言」は、当時のアイドル文化に大きな衝撃を与えました──人気絶頂の中での突然の発表は、ファンだけでなく社会全体に強い印象を残し、彼女たちの存在の特別さを改めて浮き彫りにしました
抹茶
■突然の解散宣言 ジジ
解散が発表されたのは、いつもの雰囲気の中で進んでいたコンサートの最中でした
ランちゃんが真剣な表情で口を開き、静かに「私たち、解散します」と告げた瞬間、会場の空気がすっと変わったのを覚えている方も多いでしょう
みかん
チョビ
三人の目に浮かんだ涙、言葉を選びながら話す姿、そしてその場にいた誰もが息をのんだような驚愕と喚声──あの瞬間、会場にいた人たちの驚きは、テレビ越しにもはっきりと伝わってきました
事件は、1977年7月17日の日比谷野外音楽堂のコンサートのエンディングで、なんの前触れもなく起こります
さくら
とろ
突然3人は涙を流しながら、「私たち、皆さんに、謝らなければならない事があります!」(ラン)、「ごめんなさい!」(ミキ)、「許してください!」(スー)と、それぞれがファンに対して涙ながらに謝罪し、それから「私たち、今度の9月で解散します」と宣言したため、会場内は騒然となりました
この「解散宣言」は、レコード会社にも事務所にも、どこにも相談などはされておらず、彼女たち3人のまったくの独断で発表されたそうです
マロン
ラテ
この当時は、アイドルは、ある意味でレコード会社の人形的な存在であり、無断で「解散宣言」などをするのはありえませんでしたが、彼女たちはそれをあっさりとやってのけました──別に狙ってやったわけではなく、素直な気持ちだったんでしょうね
人気絶頂の中で突然発表された「解散宣言」は、当時のアイドル文化に大きな衝撃を与えました──とくにコンサート内での発表という異例の形は、ファンだけでなく社会全体に強い印象を残し、彼女たちの存在の特別さを改めて示す出来事となりました
うに
■【解散宣言】⇒
■【暑中お見舞い申し上げます】⇒
■解散宣言のワケ りん
あの解散宣言の裏には、三人が長い時間をかけて抱えてきた思いがありました──人気が高まるほど忙しさは増し、笑顔の裏でプレッシャーや迷いも大きくなっていったのでしょう
「普通の女の子に戻りたい」という言葉には、華やかな世界の中で必死に走り続けてきた三人の、素直でまっすぐな気持ちがにじんでいました
茶々
プチ
ファンとしては胸が痛む決断でしたが、その言葉を聞いたとき、どこか“わかる気がする”と感じた方も多かったのではないでしょうか
当時、彼女たちの人気は「のぼり調子」で、スケジュールも過密になってきており、精神的にも肉体的にもだんだん追い詰められてきていました
ひめ
りん
また、彼女たち自身が結成当初から「3年間は個人を捨てて、キャンディーズに賭けよう!がむしゃらにやろう!」と決めていたと言われており、デビューから3年たったとき「ファンのためにもう1年がんばろう」と思い、解散を先に延ばしたという経緯があったそうです
彼女たちの曲を多く手掛けた穂口雄右が、のちに証言したところでは、結成してまだ間がないころから、3人はレッスンの場で「一番いい時に解散しようね」と誓いあっていたということです
茶々
ジジ
そうしたことを考え合わせると、「ラン」「スー」「ミキ」が「解散」という結論に行き着くのは、「突然」ではなく、ごく自然なことだったのかもしれませんね
1973年(昭和48年)9月「あなたに夢中」でレコードデビューしてから、もうすぐ4年目を迎えようという時期の「解散宣言」でした
ココア
うに
3人は、「解散宣言」をしたときには9月末限りで解散するという意思を固めていましたが、事前に所属事務所の正式な了解を得ずに、独断で解散を発表したということもあり、事務所の説得に応じて、解散は半年間だけ先送りされることになりました
解散を決めた背景には、三人がずっと胸の奥にしまってきた“本当の気持ち”がありました──
ちょこ
メル
人気絶頂の中で続く過密なスケジュールや、若い三人が抱えていた精神的な負担もあり、華やかなステージの裏で、まだ若い彼女たちは、普通の生活や自分自身の未来について思い悩むこともあったのでしょう──
「普通の女の子に戻りたい」という言葉は、そんな素直な願いがこぼれ落ちた瞬間でした──それは、当時のアイドルが置かれていた環境を象徴するものでもありました
もも
■【哀愁のシンフォニー】⇒
■解散宣言でさらに人気者に! マロン
解散宣言のあと、キャンディーズの人気はむしろ一段と高まっていきました──あの涙ながらの言葉を聞いたことで、三人の素直さやひたむきさが改めて伝わり、「最後まで見届けたい」という思いが多くの人の胸に芽生えたのでしょう
歌番組に登場するたびに、いつも以上に温かい拍手が送られ、三人の笑顔がよりいっそう輝いて見えた──そんな記憶を持つ方も多いはずです
とろ
抹茶
別れが近づいているからこそ、彼女たちの存在がいっそう愛おしく感じられた時期でした
解散宣言後、彼女たちの人気はさらに加速しました──惜しまれる存在として注目が集まり、彼女たちの出演する「歌番組」や「バラエティ」「イベント」にはこれまで以上の関心が寄せられるようになります──解散を前にした活動は、彼女たちの魅力を改めて浮き彫りにする期間となりました
みかん
もも
この「解散宣言」のときにランが絶叫した「普通の女の子に戻りたい!」というセリフは、当時流行語になったほどです
この時代以後は主張するアイドルはたくさん例がありますが、そのさきがけとなり、大きな成功例にもなったのは彼女たちですよね
とろ
こむぎ
それからしばらくした1980年の3月に、「山口百恵」もまた、人気絶頂のなか「結婚」と「引退」を発表しています
解散が決まってからの三人は、どこか儚さをまといながらも、以前よりいっそう輝いて見えました──「あと少しで会えなくなる」と思うと、テレビに映る一瞬一瞬が特別に感じられ、自然と応援する気持ちが強くなった──そんな思いを抱いた方も多いでしょう
ぷりん
■【夏が来た!】⇒
■ファンの反応 いくら
解散宣言の翌日、学校や職場では「本当に解散しちゃうの?」「どうしてなの?」という声があふれ、彼女たちの話題で持ちきりになりました
テレビの前で涙をこぼした人も多く、驚きと寂しさが入り混じったあの空気は、今でもはっきり覚えているという方も少なくありません
そら
みるく
──けれど同時に、「最後まで応援したい」という温かな気持ちが自然と広がり、ファン同士の間には、まるで家族を心配するような連帯感が生まれていました
あの時の静かなざわめきと優しい共感こそが、彼女たちがどれほど愛されていたかを物語っていたのです
ひなた
とろ
翌日の街には、どこか沈んだ空気が漂いながらも、「最後まで見届けたいね」と語り合う温かい声が広がっていました──あの時の“みんなで悲しみを分け合うような感覚”は、今でも胸に残っている方が多いでしょう
解散宣言はファンに大きな衝撃を与え、社会的な話題としても広く取り上げられました──日本全国に驚きと惜しむ声が広がる一方で、三人の決断を尊重し、最後の活動を見守ろうとする温かな空気も生まれていきました
もも
ファンと一体で作り上げた花道! 茶々
解散が決まってからの彼女たちは、まるでファンと一緒に最後の道のりを歩んでいるようでした
歌番組やバラエティー番組に登場するたびに、スタジオにはこれまで以上の温かい拍手が響き、三人の笑顔にそっと寄り添うような空気が広がっていました
りん
ひめ
「最後まで見届けたい」という思いは、お茶の間でも同じで、家族でテレビを囲みながら一曲一曲を大切に味わっていた方も多いでしょう
別れが近づくほどに、三人とファンの心がひとつになっていく──そんな優しい時間が、確かにあの時代には流れていました
チャコ
そら
彼女たちは「解散を宣言」することによって、さらにその人気を盛り上げたと言えますが、このような解散の仕方をしたアイドルグループはこれ以前にはなく、これ以後もないのではないでしょうか
また、彼女たちは「年下の男の子」のヒット以後からファンが激増し、日本で初めて、「全国組織型ファンクラブ」(「全国キャンディーズ連盟」いわゆる「全キャン連」)を持ったアイドルでした
ベル
ミイ
解散宣言から解散コンサートまでの盛り上がりは、この「全キャン連」が率先して音頭を取り、大活躍することになります
この頃の三人のステージにはどこか儚さが漂い、ファンの拍手もいつも以上に温かく感じられました
チョコ
ハナ
「あと少ししか見られない」と思うと、テレビに映る一瞬一瞬が特別で、まるで家族の誰かを見守るような気持ちで応援していた──そんな記憶を持つ方も多いでしょう
解散を前にした彼女たちの活動は、ファンとの絆がより強く感じられる期間となりました──歌番組やイベントでは惜しむ声と温かい拍手が同時に広がり、三人の最後のステージを見届けようとする空気が社会全体に満ち満ちていました
あずき
■【全キャン連】⇒
■事実上のラストシングルで初1位 うに
解散が決まったあとに発売された「微笑がえし」は、キャンディーズにとって事実上のラストシングルとなり、ついに初のオリコン1位を獲得しました
別れが近づいていることを知っていたからこそ、三人の歌声はいつも以上に胸にしみ込み、歌詞のひとつひとつが切なく響いたという方も多いでしょう
茶々
チャコ
テレビやラジオから流れるたびに、「もうすぐ終わってしまうんだ」という思いが込み上げ、当時のファンの間には静かな熱気と温かな応援の空気が広がっていました
最後のシングルでの初1位は、三人がどれほど愛されていたかを象徴する出来事だったのです
マロン
ひな
彼女たちは、それまで発表したシングルが1位を獲得したことが一度もなかったので、ファンや関係するスタッフが解散までには1位を獲得させたいと、必死の後押しをしたそうです
ファンやスタッフの寝食をわすれたサポートの甲斐あって、ラストシングル「微笑がえし」は、初めての1位を獲得することができました
ルル
あんず
そして、その勢いのままに、伝説の「解散コンサート」を迎えます
レモン
ジジ
「微笑がえし」が流れるたびに、三人の笑顔やこれまでの思い出が胸に浮かび、自然と涙がこぼれた──そんな経験をした方も多いでしょう
「微笑がえし」は、キャンディーズの集大成ともいえる楽曲として高く評価され、歌詞やメロディに込められた“別れの予感”が多くの人の心をつかみ、社会的な関心も一段と高まりましたよね
りん
もも
解散を前にして、最後のシングルが初めての1位になったことは、ファンの思いがひとつに重なった証のようにも感じられました
■【微笑みがえし】⇒
■ラストコンサートの熱気 とろ
解散コンサート当日、会場には早い時間から多くのファンや報道陣が集まり、まるでお祭りのような熱気に包まれていました
三人がステージに姿を見せた瞬間、会場全体が大きな拍手と歓声に揺れ、これまでの思い出が一気にあふれ出すような高揚感が広がりました
あんみつ
おはぎ
歌うたびに客席から温かな声援が飛び、三人の笑顔もどこか誇らしげで、最後のステージを全力で楽しもうとしている気持ちが伝わってきたものです
別れが近いことを知りながらも、会場には“今この瞬間を一緒に味わいたい”という前向きなエネルギーが満ちていましたね
きなこ
あんこ
当日の1978年(昭和53年)4月4日は、当時は空前の観客数であった5万5千人が後楽園球場に集まりました──お別れコンサートとしては「ザ・ピーナッツ さよなら公演」以来2例目となる、「ファイナルカーニバル」でした
後楽園球場でコンサートを開いたのは、女性の歌手グループでは、彼女たちが最初なんだそうです
ミイ
ミント
このコンサートは4月7日にTBS系列で全国にテレビ放映され、関東地区で平均視聴率32.3%という、単独のアーティストによる音楽番組としては歴代1位の高視聴率を獲得しました
会場に足を踏み入れた瞬間から、そこには特別な空気が漂っていました──三人の名前が書かれたうちわや手作りのメッセージボードが揺れ、ファン同士が笑顔で言葉を交わす──そんな温かい光景が広がっていたのです
さんた
メイ
ステージに三人が現れた瞬間、胸が熱くなったという方も多いでしょう
解散コンサートは、彼女たちの人気と影響力を象徴する大規模なイベントとなりました
たま
すず
会場には多くのファンが詰めかけ、熱気と期待が渦巻く中で三人が登場し、最後のステージとは思えないほどの盛り上がりを見せました
■涙のフィナーレ 茶々
コンサートの終盤、三人が最後の挨拶に立った瞬間、会場の空気はふっと静まり返りました
これまで笑顔で歌い続けていたランちゃん、スーちゃん、ミキちゃんの目に涙が浮かび、言葉を選びながら感謝を伝える姿に、客席からもすすり泣きが広がっていきました
さくら
うに
「本当に今日が最後なんだ」と胸に迫る思いが、会場全体を包み込んでいたのです
三人が手を取り合い、深くお辞儀をしたあの瞬間──拍手はいつまでも鳴りやまず、別れの寂しさと、これまでの感謝がひとつになったような、静かで温かな時間が流れていました
ジジ
メイ
コンサートの最後にランがファンに向かって言った「本当に私たちは幸せでした!」という印象的な言葉も有名になりましたね
結成当初の頃より、彼女たち3人が望んでいた「最高の状態で解散する」という「念願」が、かなった瞬間でもありました
すず
ナナ
最後の曲が終わり、三人がステージ中央に並んだとき、会場には言葉にできない静けさが広がりました
涙をこらえきれずに声を震わせる三人の姿に、客席のあちこちからハンカチを目に当てる人の姿が見え、まるで会場全体がひとつの大きな家族になったようでした
ハナ
りん
解散コンサートのフィナーレは、彼女たちの歴史を象徴する場面となりました
三人が涙ながらに感謝を述べると、会場は惜しむ声と温かい拍手に包まれ、アイドルとファンの関係性がひとつの形として結実した瞬間でした
こむぎ
■【解散コンサート】⇒
■キャンディーズとは何だったか とろ
彼女たちは、単なるアイドルという枠を超え、私たちの暮らしの中にそっと寄り添ってくれる存在でした
明るい笑顔や息の合ったハーモニー、自然体のトーク──そのすべてが、忙しい日々の中に小さな元気と癒やしを運んでくれましたね
もも
ひな
解散という別れを迎えてもなお、三人の姿が今も多くの人の心に残り続けているのは、彼女たちが“時代の象徴”であると同時に、“自分自身の思い出”と深く結びついているからでしょう
キャンディーズとは、70年代のお茶の間に流れていた温かな空気そのものであり、今もなお色あせない“青春の光”なのです
くるみ
あずき
こうして、彼女たちは結成から6年、デビューから数えると、わずか4年半の活動に幕を引きました
「キャンディーズ」とは、もちろん本来は「ラン」「スー」「ミキ」の3人で構成する、「グループアイドルの名前」にすぎません
クロ
たま
だけど、これに3人を支えたスタッフや全国のファンが一体となった、「大きなムーブメント」そのものだったという言い方もされていますね
彼女たちは、テレビの中にいるのに、どこか“身近な友だち”のような存在でした──三人の笑顔を見るだけで気持ちが軽くなり、歌を聴くと自然と元気が湧いてくる──そんな温かい力を持っていました
チャコ
メル
だからこそ、解散から何十年経っても、ふとした瞬間に思い出して胸がじんとするのかもしれません
彼女たちは、70年代のアイドル文化を語るうえで欠かせない存在であり、歌・バラエティ・ファンとの関係性など、多方面で新しい価値を生み出しました
ラテ
もも
その魅力は時代を超えて語り継がれ、今もなお多くの人々の記憶に残り続けています
普通の女の子にはもどれなかった? いくら
解散からそれぞれの道を歩み始めた三人は、「普通の女の子に戻りたい」と語ったあの日の言葉とは少し違う形で、人生の新しいステージへ進んでいきました
華やかな世界から離れた後も、ランちゃん、スーちゃん、ミキちゃんは、それぞれの場所で自分らしい輝きを見せ続け、ファンの心の中ではいつまでも“あの頃のまま”の存在でした
抹茶
ぷりん
キャンディーズとしての時間が終わっても、三人の人生は静かに、そして力強く続いていったのです
突然の解散宣言までして、強引に引退した3人でしたが、しばらくして3人とも別々に芸能界に復帰しています
とろ
もも
しかし、「復活」を求める声は絶えずありましたが、どんなに水を向けられても、3人は決して再結成だけはしませんでした
そのことは、大事なものを示唆しているかもしれません
チョコ
ココ
同時代に活躍して、なにかとよく比較された「ピンク・レディー」とは、対照的な軌跡をたどることになりました
■ランの場合 もも
解散後のランちゃんは、しばらく芸能界から離れ、家庭を大切にしながら静かな時間を過ごしました
華やかなステージから一歩距離を置いたその姿は、「普通の女の子に戻りたい」と語ったあの日の言葉を思い出させるものでもありました
おもち
ジジ
それでも年月を経て再び表舞台に立ったとき、変わらない優しい笑顔と落ち着いた佇まいに、ファンはどこか安心した気持ちになったのではないでしょうか
ランちゃんの歩んだ道は、穏やかで、そしてとても彼女らしいものでした
ココア
ラテ
「ラン」は、1980年(昭和55年)に復帰し、俳優・歌手の水谷豊と、1989年(平成元年)に結婚しています
■【伊藤蘭 復帰会見】⇒
■【伊藤蘭 結婚】⇒
メル
解散以後は、歌の道には進まず、女優として成功をおさめ、「テレビ」「映画」「Webドラマ」「CM」「ラジオ」「ナレーション」などで、幅広く活動していました
■【男はつらいよ 寅次郎かもめ歌 伊藤蘭】⇒
■【火曜サスペンス劇場 伊藤蘭】⇒
■【土曜ワイド劇場 伊藤蘭】⇒
とろ
承知の上で復帰したんだろうけど、ちょっとかわいそうだったよね
ぷりん
もこ
その後は、順調に「女優」としての実績を重ねています
■【木曜ドラマ DOCTORS~最強の名医~ 伊藤蘭】⇒
■【伊藤蘭のCM】⇒
いくら
女優として芸能界復帰したものの、長い間、歌手に戻らなかったのは、一種の「ケジメの気持ち」があったのかもしれませんね
2013年(平成25年)8月公開の妹尾河童の長編小説「少年H」の映画版で、夫の水谷豊とテレビドラマ「事件記者チャボ!」以来28年ぶりに共演し、夫婦役を演じて話題になりました
抹茶
■【少年H 伊藤蘭】⇒
ひなた
この映画は、第35回モスクワ国際映画祭のGALA(ガーラ)部門で、特別作品賞を受賞しました
「女優」として大活躍した「スーちゃん」に負けない「売れっ子女優」「名女優」となったと言えそうですね
おもち
そら
一人娘の「趣里(しゅり)」も、「女優」となりました
2011年、オーディションに合格し『3年B組金八先生ファイナル~「最後の贈る言葉」4時間SP』(TBSテレビ)で「女優デビュー」しています
ハナ
メル
「自分のことはすべて自分で決めなさい」という両親の教育方針もあり、自ら進んで多くの舞台や映画、テレビドラマに出演して経験を重ね、2012年から2016年まで舞台作品を中心に活動した後に、映画、テレビドラマなどの映像作品にも力を入れていますね
2016年にはNHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』への出演で注目を集め、2017年4月期のテレビドラマ『リバース』(TBSテレビ)でも熱演しましたね
ちょこ
いくら
2017年11月には『過ちスクランブル』で連続ドラマに初主演し、2018年4月期の『ブラックペアン』(TBSテレビ)でもクールな看護師役で存在感を発揮したんだよ
2018年、映画『生きてるだけで、愛。』で主演を務め、第33回高崎映画祭最優秀主演女優賞、第42回日本アカデミー賞新人俳優賞、おおさかシネマフェスティバル2019主演女優賞を受賞したんだよ
キウイ
ラテ
2023年後期放送の、連続テレビ小説『ブギウギ』で2471人が応募したオーディションで選出され、ヒロイン「花田鈴子」役を好演し、話題になっています
地道な努力を重ねて着々と実力をつけ、母の「伊藤蘭」や、父の「水谷豊」に負けない俳優に成長しましたよね
おもち
りん
「伊藤蘭」は、2019年(令和元年)5月29日、ソロデビューアルバム「My Bouquet」を発表し、解散以来41年ぶりの歌手活動を再開しました
■【My Bouquet/伊藤蘭】⇒
みるく
64歳でのソロデビューとなりましたが、あの「ランちゃん」が音楽シーンに帰ってきたのは喜ばしい限りだよね
肩のチカラがほどよく抜けて、こだわりが取れたのかもしれませんね
茶々
ナナ
2019年(令和元年)6月11日には、解散の地である、「東京ドームシティホール」でソロコンサートをしているよ
2023年12月の『第74回NHK紅白歌合戦』には、ソロ歌手として初出場し、かつての時代を含めて、46年ぶり4回目の出場を果たしました
ハナ
■【伊藤蘭ソロコンサート】⇒
■スーの場合 チャコ
「スー」は、1980年(昭和55年)5月に復帰して、やはり女優として活動し、新しい道を切り開きました
その人柄もあってか、復帰後すぐに、「テレビドラマ」「映画」をはじめ「CM」「バラエティ番組」「舞台」など、ブランクを感じさせない活躍を始めます
みかん
茶々
明るく親しみやすい笑顔はそのままに、役者としての深みを増していく姿は、多くの人の心に静かな感動を残しました
どんな役にも真摯に向き合う姿勢は、アイドル時代のひたむきさと変わらず、見る人に温かい余韻を与えてくれましたよね
ララ
ルル
スーちゃんが残した作品や言葉は、今もなお多くのファンの胸の中で優しく輝き続けています
■【田中好子 復帰会見】⇒
■【おんな太閤記 田中好子】⇒
■【おしん 田中好子】⇒
ココア
また、一時期「ソロ歌手」として復帰し、「音楽活動」も並行して行っていました
1984年(昭和59年)に、アルバム「好子」をリリースして「カボシャール」というシングルを出しているほか、1989年(平成元年)には、「田中好子&五木ひろし」の名義で「二枚目酒(居酒屋パートII)」を発表しています
うに
■【カボシャール/田中好子】⇒
ジジ
しかし、歌手としてよりもむしろ「女優」として大成し、1989年(平成元年)公開の「黒い雨」で、主役を演じて、「日本アカデミー賞」「ブルーリボン賞」「報知映画賞」「毎日映画コンクール」「キネマ旬報賞」などで「主演女優賞」を受賞しました
■【黒い雨 田中好子】⇒
プチ
1991年(平成3年)に、「夏目雅子」の兄と結婚したんだよね
■【田中好子 結婚】⇒
モカ
その後も、「家なき子」やNHK連続テレビ小説「ちゅらさん」など、テレビや映画の人気作品にはひっぱりだことなり、なくてはならない存在感のある「売れっ子女優」「名女優」へと成長していきました
CMも人気が高く、そうめん「揖保乃糸」のCMは、1992年(平成4年)から19年にわたり起用され続けた人気CMでしたね
あずき
■【家なき子 田中好子】⇒
■【ちゅらさん 田中好子】⇒
■【田中好子のCM】⇒
みるく
結婚翌年の1992年(平成4年)に乳がんが発見され、女優業のかたわら、長い闘病の末2011年(平成23年)4月21日に55歳で乳がんのため他界しています
闘病しながらの女優業はかなりつらかったはずですが、治療のつらさをまったく感じさせませんでしたね
きなこ
もも
危篤になったとき、親族の計らいでランもミキも病室に通されて、亡くなるまで枕元で7時間も名前を呼び続けたそうです
葬儀には、全国からファンが集まり、一般弔問客も多数「青山霊園」に参列しました
さくら
マロン
■【田中好子 弔辞】⇒
そら
病床で録音した肉声が葬儀の最後に流されましたが、自分自身が死の床にあるのにもかかわらず、東日本大震災で被災した方々の心配をしていましたね
ひな
ルル
亡くなってから大分たちますが、いまだに人気がありますね
■【田中好子 最後のメッセージ】⇒
■【田中好子 公式サイト】⇒
■ミキの場合 レモン
ミキちゃんは、解散後は、華やかなスポットライトからは距離を置き、一般人として生活しています
1978年の解散から1983年の芸能界一時復帰までの間のことは公表されておらず分かりませんが、たとえ表舞台に立たなくても、彼女の歌声や存在感は、ファンにとっていつまでも特別なままでした
むぎ
ミイ
再び彼女が表舞台に現れるのは1983年(昭和58年)で、「ミキ」は「藤村美樹」の名義で、ソロ歌手として期間限定で短期間だけ復帰しています
カネボウの春のキャンペーンソングとして「夢・恋・人」を発表し、見事「ザ・トップテン」で10位にランクインして、ブランクを感じさせず「ヒット」をとばしましたね
ミミ
あんこ
1983年2月10日にはTBSテレビ「ザ・ベストテン」の「今週のスポットライト」に出演しています
■【夢・恋・人/藤村美樹】⇒
■【藤村美樹のCM】⇒
ミント
その後まもなく、1983年中に実業家と結婚して芸能界を引退して以来、芸能界の表舞台には一度も出ていません
■【藤村美樹 結婚】⇒
あんこ
3人のお子さん(1男2女)がおり、長女の「尾身美詞(おみみのり)」が、劇団「青年座」などで舞台女優として芸能活動をしているようですね
すず
たま
2011年4月25日に「スー」の葬儀に出席し、28年ぶりに公の場に姿を見せました
このとき、ランといっしょに「青山葬儀場」に入っています
モカ
とろ
生涯の友を亡くし、かなりご心痛なようすが見てとれ、立っているのもつらそうな感じでしたよ
この葬儀で、「ラン」と「ミキ」は、それぞれ思いのこもった弔辞を読みあげています
ラテ
もも
彼女たち3人にとってもまた、「キャンディーズ」がどれほど大切なものだったのかということの答えが、その弔辞の中にあるのかもしれませんね
あとがき ミント
彼女たちの物語を振り返ると、あの時代のお茶の間に流れていた温かな空気や、テレビの前で感じた胸の高鳴りが、今でも静かに思い出されます
三人の笑顔や歌声は、決して派手ではないけれど、どこか生活に寄り添うような優しさがありました
ジジ
茶々
解散から何十年が経っても、彼女たちの存在が色あせないのは、きっと私たち自身の思い出と深く結びついているからなのでしょう
この記事が、あなたの心の中にある“あの頃の光”をそっと照らすきっかけになれば嬉しく思います
もも
とろ
彼女たちの歌や笑顔を思い出すと、今でも自然と気持ちが軽くなります──70年代のお茶の間に流れていたあの明るさは、時代が変わっても色あせることがありません
解散という別れはあったけれど、三人が残してくれた音楽や言葉は、これからもずっと私たちの毎日をそっと照らしてくれるはずです
ハナ
こむぎ
ふとした瞬間に曲を聴けば、あの頃の自分に会える──そんな温かい存在でいてくれることが、何より嬉しく感じられます
全てのシングル
おもち
彼女たちが残したシングルには、あの時代の空気や三人の成長が静かに刻まれています
思い出の曲を、あらためてゆっくりと振り返ってみてください
ぷりん
大好きな曲が楽しめる! ひな
三人の歌声は、今聴いてもどこか心を軽くしてくれます
お気に入りの曲を、ぜひもう一度ゆっくり味わってみてください
ぷりん
おススメの音楽配信サイトなど レコチョク 「レコチョク」は、音楽会社各社が参画する「ダウンロード購入」タイプの音楽配信サービスで、そのため幅広いジャンルにわたってラインナップが豊富であることや、「ハイレゾ配信」も行っており、「ストリーミング(サブスクリプション)」タイプや「CD/DVD」などよりも、「高音質」で聴くこともできます。
「ダウンロード」による「デジタルデータの購入」なので、楽曲のデータを消去してしまわない限りは、人気の「サブスクリプション」(定額料金で多数の楽曲が聴き放題になる)タイプのように、音楽配信が停止になって、いつのまにか聴きたい曲が「聞けなくなってしまう」ようなことがないのがいいところですね!
「自分の好きなアーティストの曲だけをたのしみたい人」「月額料金をずっと取られ続けるのが嫌な人」「聴きたい曲が決まっている人」「曲ごとやアルバムごとにお金を払う、ダウンロードタイプの音楽配信サービスがいい人」「全体の出費を抑えながら音楽を楽しみたい人」「曲のラインナップは豊富な方がいい人」にはおススメ!
⇒音楽ダウンロードならムダな料金がかからない! 【レコチョク】
music.jp 「music.jp」は「音楽配信」だけでなく、「動画配信」と「電子書籍」も一緒に楽しめるサービスで、「動画配信」の作品数は国内最大級の18万本以上と充実しており、満足いくラインナップです。
他のVODなどと違うのは、音楽と書籍は「購入」、動画は「レンタル」となり、月額料金を「ポイント」に変えて、デジタル作品を通常よりも安く「購入」「レンタル」することができるというところ。
月々もらえるポイントを全部使ってしまえばそれ以上は「課金」になり、「定額で見放題」などではないですが、「ポイント」は多めにもらえますし、「音楽作品」「映像作品」「電子書籍」を一緒に楽しめるのは、「映像作品とテーマソングや原作をリンクして楽しみたい人」には大きなメリットと言えるでしょう。
Tower Records 「Tower Records(タワーレコード)」は、アメリカ生まれの大手CDショップチェーンで、日本でもレコード全盛の時代から「NO MUSIC, NO LIFE.」のキャッチコピーで知られ、音楽の購入方法がダウンロードやストリーミングなどに中心が移ってしまった今でも、音楽の実店舗としては「No.1」であり、現在も「CD」「DVD」「書籍」などを販売していて、コアなファンも多くいます。
「Rock」「Pops」は言うに及ばず、「Classic」「Jazz」「Fusion」など幅広いジャンルにわたって品ぞろえは豊富で、さまざまな「音楽情報」「タワーレコード限定商品」「オンラインショップ限定特典」などもあり、「CD」「DVD」や「音楽系の書籍」「グッズ」などをよく買う方にとっては、魅力的な専門的なショップです。
「昔ながらのレコードやCDを買いたいという音楽ファンの人」「CDやDVD・ブルーレイなどで音楽を聴きたい人」「レコードやCDでの音質にこだわる人」「タワーレコード限定グッズやオンライン限定特典に魅力を感じる人」「インターネットに詳しくはないが音楽好きな人」「ジャケットを見ないと音楽を聴いた気にならない人」などには非常におススメ!
コロムビアミュージックショップ 「コロムビアミュージックショップ」は、日本有数の老舗レコード会社である「日本コロムビア」の公式通販サイトで、「演歌」「歌謡曲」から「J-POP」「ロック」「クラシック」「ジャズ」「アニメ」「特撮もの」や「キッズ」「ファミリー」など、幅広い「年代」「ジャンル」にわたる「音楽に関わる商品」を販売しています。
歴代の人気アーティストの作品を取り揃えており、市販されている「CD」や「DVD」「Blu-ray」をはじめとし、「通販限定CD-BOX」や「グッズ」「フォト」「オリジナル特典つきCD」などの「限定もの」のほか、「レコード」「カセット」までもあるなど、「コロムビアミュージックショップ」でしか手に入らない商品が多数購入できるのは、「音楽好き」にはとても魅力的!
「音楽が好きな人」「昔のヒット曲を集めた企画もののCDを探している人」「好きなアーティスト関連のグッズが買いたい人」「コレクションしているアーティストがいる人」「なつかしのアーティストの楽曲や写真・映像を楽しみたい人」には、非常におススメです!
この記事のまとめ ラテ
彼女たちの歩みをたどると、あの時代のお茶の間に流れていた温かな空気や、三人のひたむきな姿があらためて胸に浮かびます
もも
おもな内容のポイント整理 りん
この記事でふり返った彼女たちの軌跡を、あらためて簡単に整理します
この記事のまとめ
「キャンディーズ」は1970年代中期を代表するアイドルで、現代のアイドルグループの源流 誰がセンターをとってもいいほど3人とも歌唱力は高く、今でいう「推しメン」の原点にもなる 同時期の他の歌手たちよりも「バラエティ」の素質があり、コメディアン同様に笑いが取れた 人気絶頂における「突然の解散」を、さらなる全国的な人気につなげ、伝説的アイドルになった 解散後にそれぞれのスタンスで芸能界に戻って活躍したが、「再結成」は最後までしなかった