1965年(昭和40年)は、のちに大ブームとなる「グループサウンズ」の「種がまかれた年」と位置付けられそうです。

この年、「グループサウンズ」の主要グループの先頭を切って、「ザ・スパイダース」がメジャーデビューします。

海外では、「ザ・ビートルズ」「ローリング・ストーンズ」「ボブ・ディラン」などが人気の絶頂にあり、その大きなうねりは、日本にも押し寄せてきました。

この記事では、1965年に大人気だった「ヒット曲」をなつかしく思う方のために、「年間ヒット曲」「その年の注目曲」を中心に、その年の出来事や「日本や世界の音楽事情」、放映が始まった「テレビ番組」や公開された「映画」などについてお話ししてみたいとおもいます。

この記事を読むことで、記憶と思い出の中の「1965年という時代」を振り返ってみることができ、その当時の甘酸っぱい記憶を昨日のことのように思い出すことができるようになるかもしれません。

この記事を読んでほしい人

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「1965年」の「テレビ番組」や「封切映画」をなつかしいと思う人

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1965年(昭和40年)の音楽事情

「ザ・スパイダース」登場

「ザ・スパイダース」は、1961年(昭和36年)に結成されますが、結成当初は「ラウンジ・ミュージック」を嗜好しながら、おもに歌手の「バック・ミュージシャン」として活動していたそうです。

「ラウンジ・ミュージック」とは、ホテルのラウンジやカフェでかかる音楽で、そこに集う人々の会話や社交を邪魔しない「ムード音楽」または、そこから発展した「比較的ゆったりとした曲調の心地良い音楽」のこと。

ちょうどその頃に「ビートルズ旋風」が世界的な規模で巻き起こっており、1964年(昭和39年)頃に「ザ・スパイダース」は、それに触発されて「ビート・グループ」としてバンドを編成しなおし、いち早く「ザ・ビートルズ」の楽曲をコピーして、「マージー・ビート」や「ブリティッシュ・ビート」「リバプール・サウンド」と呼ばれた流行の音楽への傾倒していきます。

【リバプール・サウンド】⇒

そして、来日した外国アーティストの「前座」や「バック演奏」をこなすことが多くなり、彼らの「外国志向」はさらに強くなっていきました。

1965年(昭和40年)5月に、「フリフリ」でシングルデビューしたあと、洋楽の影響を強く受けた斬新な楽曲を矢継ぎ早にシングルで発表し、翌1966年(昭和41年)9月15日リリースの7枚目のシングル「夕陽が泣いている」で、売上げが120万枚を超える「大ブレイク」をすることになります。

【フリフリ/ザ・スパイダース】⇒

【夕陽が泣いている/ザ・スパイダース】⇒

【なんとなくなんとなく/ザ・スパイダース】⇒

【風が泣いている/ザ・スパイダース】⇒

【いつまでもどこまでも/ザ・スパイダース】⇒

【あの時君は若かった/ザ・スパイダース】⇒

1966年(昭和41年)6月末~7月初旬の「ザ・ビートルズ来日公演」は、彼ら「ザ・スパイダース」をはじめとする「グループサウンズ」の若者たちにとって、衝撃的な事件であり、その影響はさらに強いものになったであろうと想像します。

【ザ・ビートルズ 来日公演】⇒

その後、盛り上がる「グループサウンズ・ブーム」の主役の一翼を担って、ヒット曲を連発していきました。

「グループサウンズ」事始

一般的に「グループサウンズ」といえば1960年代後半、「ジャズ喫茶」「ゴーゴー喫茶」を中心に活動した「ロック・グループ」などを指しています。

【ゴーゴー喫茶】⇒

1965年(昭和40年)5月、「ザ・ビートルズ」などイギリスのロックバンドの人気が日本にも広まる中で、既に述べたように、まず「ザ・スパイダース」が最初のグループサウンズのレコードとされている「フリフリ」をリリースします。

その後、1966年(昭和41年)3月には「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」がデビューシングル「青い瞳」英語盤を発表し、

4ヶ月後の1966年7月に発売された「青い瞳」日本語盤で50万枚以上のセールスを記録して全国的なヒットとなりました。

この楽曲が「グループサウンズ」が「ブーム」になる起源となった曲とされています。

【青い瞳/ジャッキー吉川とブルーコメッツ】⇒

そして、1966年(昭和41年)6月30日~7月2日の「ザ・ビートルズ来日公演」以降は、エレキギター等の楽器を自ら演奏しながらバンド形式で歌うグループが日本で次々とデビューするようになりました。

それをを受けて、当時の若者向け芸能雑誌「週刊明星」がこれらのグループや音楽を総括して「グループサウンズ」または「グループサウンド」と呼び始めたことをきっかけに、その呼び名が広まったと言われています。

その他にも、1965年(昭和40年)に「寺内タケシとブルージーンズ」の「寺内タケシ」が、音楽ジャンルを記者から聞かれた際に「『グループサウンド』だ」「でもそれだと単数形だから『グループサウンズ』のほうがいい」と言ったことが広まったという説などがあります。

一括りに「グループサウンズ」とは言っても、各グループの音楽性やスタイルにはかなり「ばらつき」がありました。

「寺内タケシとブルージーンズ」は「ベンチャーズ」の影響を受けていましたし、「ゴールデン・カップス」や「ザ・テンプターズ」のように「ブルース・ロック」を演奏していたバンドもありました。

【寺内タケシとブルージーンズ】⇒

【ゴールデン・カップス】⇒

【ザ・テンプターズ】⇒

また、「ブルージーンズ」「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」「ザ・スパイダース」のように、「ザ・ビートルズ来日公演」より以前から「プロのバンド」として活動していたものや、

「ザ・タイガース」や「ザ・テンプターズ」のように「ザ・ビートルズ」や「ローリング・ストーンズ」に強く影響を受けた学生たちが、仲間内で結成した「アマチュアバンド出身」のものもいました。

【ジャッキー吉川とブルー・コメッツ】⇒

【ザ・スパイダース】⇒

【ザ・タイガース】⇒

しかし、バラバラとはいいつつも、「グループサウンズ」は流行の洋楽に強い影響を受けたバンドスタイルの音楽であったことは共通しており、楽曲もファッションも当時の日本の先端を行くものであったため、

すぐに人気に火が付き始めて、1967年(昭和42年)には「大ブーム」として、大きな花を咲かせることになっていきます。

「ザ・ビートルズ」の変化

「グループサウンズ」に大きな影響をもたらした「ザ・ビートルズ」は、この年1965年(昭和40年)には、歴史的名作と言われるアルバムを2枚リリースしています。

1965年(昭和40年)8月6日にリリースした「ヘルプ!」と、12月3日にリリースした「ラバー・ソウル」で、どちらも「全英」「全米」ともに「1位」に輝いており、セールス的にも大成功を収めました。

夏にリリースされたアルバム「ヘルプ!」は、「ザ・ビートルズ」にとって2作目となる映画「ヘルプ!4人はアイドル」のサウンド・トラックでもあり、「ザ・ビートルズ」の5作目の「オリジナル・アルバム」でもあります。

【涙の乗車券/ザ・ビートルズ】⇒

【ヘルプ!/ザ・ビートルズ】⇒

【デイ・トリッパー/ザ・ビートルズ】⇒

【恋を抱きしめよう/ザ・ビートルズ】⇒

このアルバムは音楽的評価も高く、同時にこれまで一貫して「アメリカン・ポップス」や「リズム・アンド・ブルース」を下敷きにして、伝統的なロック中心の音作りをしてきた「ザ・ビートルズ」に、初期の音楽とは「別の面」がかいま見れるようです。

その変化がはっきりと表れているのが、「ジョン・レノン」が歌う「ヘルプ!」と「ポール・マッカートニー」が歌う「イエスタディ」だと言われています。

この頃の「ザ・ビートルズ」の4人は、加熱する人気に自己を見失いかけていて、「ジョン・レノン」はのちに「僕らは豚のように暴飲暴食し肥え太っていく己自身に失望していた。助けを求めて叫んでいたんだ」という発言をしており、この曲は「ジョン・レノン」自身の悲痛な「メッセージ・ソング」という一面も持っていました。

「ヘルプ!」以後、「ジョン・レノン」は歌詞として「本当のこと」を盛り込んで歌うという姿勢を、より明確にしていくことになります。

「イエスタディ」はプロデューサーの「ジョージ・マーティン」が、「この曲のバックにはロック・バンドは必要ない」と考え、「ジョージ・マーティン」の助言に従って弦楽四重奏を使用して録音されました。

【イエスタディ/ザ・ビートルズ】⇒

ここで彼らはそれと意識しないで「ロックとクラッシックの融合」という画期的なことをやっています。

そして、「ロック」にとどまらず「クラッシック」「ジャズ」「民族音楽」や、そのほか「さまざまな音楽」を融合する総合音楽としての「ロック」の形成こそが、以後の「ザ・ビートルズ」の重要なテーマとなっていきます。

冬にリリースされた「ラバー・ソウル」は、「グループにとって芸術的な飛躍をもたらした」と音楽批評家から高い評価を受け、ビートルズの初期の特徴であった「マージー・ビート・サウンド」から、「リボルバー」「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」などへ至る「橋渡し的な役割」を果たしたと言われています。

「ラバー・ソウル」は、ポップ・ミュージックの歴史において最も偉大なアルバムの一つだと何度も引き合いに出されており、音楽雑誌の評価も軒並み「非常な高評価」となっています。

「ラバー・ソウル」では全編にわたって、初期の「ザ・ビートルズ」によく見られた、単純な「ロックン・ロール・ナンバー」は影をひそめ、「歌詞やメロディの美しさ」で自己主張するタイプの曲がズラッと並ぶことになりました。

【ノルウェーの森/ザ・ビートルズ】⇒

この年は、「ザ・ビートルズ」にとって、「音楽面での画期的な変化」の年だったと言えるかもしれません。

「リバプール・サウンド」

前年の1964年(昭和39年)の「エド・サリバン・ショー」出演で幕を明けた、「ザ・ビートルズ」のアメリカでの驚異的大成功がキッカケとなって、イギリスのバンドが続々とアメリカへと渡りました。

このため、1964年(昭和39年)~1965年(昭和40年)にかけて、アメリカの「ビルボード」では「ヒットチャート」のおよそ半分がイギリスのバンドで占められるという現象が起きました。

アメリカの音楽界では、このことを「(第1次)ブリティッシュ・インヴェイジョン」(イギリスの侵略)と呼んでいます。

「ブリティッシュ・インヴェイジョン」は、その後のアメリカの「フォーク・ロック」「ガレージ・ロック」「パンク」などに大きな影響を与えています。

この出来事は「社会現象」として世界中にまたたく間に伝えられ、日本ではそれを「リバプール・サウンド」と呼びました。

これはあくまでも「アメリカでヒットしたイギリスのバンド」に対する日本のみの呼び方であり、それらのバンドがロンドン出身だろうがマンチェスター出身だろうが区別されずひとまとめにして「リバプール・サウンド」と言っていました。

ちなみにご当地アメリカやイギリスでは、特にリヴァプール出身のバンドを指してマージー川に由来する「マージー・ビート」という名称で呼び、ロンドンやマンチェスターなどほかの地域のバンドも含める場合は「ブリティッシュ・ビート」と呼ぶのが普通のようです。

さまざまな「リバプール・サウンド」のバンドが現れましたが、中でも「ザ・ビートルズ」の影響力が最も強く、数年の時間差をおいて世界各国で熱狂的な「ビートバンド・ブーム」が起きています。

1966年(昭和41年)~1969年(昭和44年)にかけて日本で大ブームを巻き起こした「グループサウンズ」もその1つであり、それまで「アメリカ主導」だった音楽エンターテイメントは、このブームを境に「英米二極型」へと大きく変貌を遂げることになりました。

しかし1966年(昭和41年)頃には早くも、イギリスやアメリカでは「リバプール・サウンド」は「時代遅れ」になってきており、「ザ・ビートルズ」を筆頭に、「サイケデリック」「プログレッシブ」な方向か、または「ブルース」を突き詰める方向へと、方向性を変えて進化していくことになります。

1967年(昭和42年)頃には、各国音楽界の情報の共有化も進み、世界的に「共通なスタイル」が流行するようになったため、勢いのあった「ブリティッシュ・インヴェイジョン」も終わりを迎えたと言われています。

「ブリティッシュ・インヴェイジョン」も「ザ・ビートルズ」も、海外での出来事でしたが、「グループサウンズ」を通して日本に強力な影響を与えたと言えるのかもしれません。

「リバプール・サウンド」を代表する主要アーティストとしては、「ザ・ビートルズ」「ローリング・ストーンズ」「ザ・フー」「ヤードバーズ」「キンクス」「アニマルズ」「ゾンビーズ」あたりが有名どころでしょうか。

【抱きしめたい/ザ・ビートルズ】⇒

【シー・ラヴズ・ユー/ザ・ビートルズ】⇒

【サティスファクション/ローリング・ストーンズ】⇒

【黒くぬれ!/ローリング・ストーンズ】⇒

【マイ・ジェネレーション/ザ・フー】⇒

【恋のマジック・アイ/ザ・フー】⇒

【ユー・リアリー・ガット・ミー/キンクス】⇒

【オール・オブ・ザ・ナイト/キンクス】⇒

【朝日のあたる家/アニマルズ】⇒

【シーズ・ノット・ゼア/ゾンビーズ】⇒

それでは、どんな曲がこの年の年間ヒット曲ランキングに入っていたのか、見てみることにしましょう。(リンク先はすべてYouTubeとなっています)

ランキングに収まらなかったヒット曲は「ピックアップ」としてひとくくりにしてありますので、そちらも聞いてみてください。

【1966年ヒット曲】昭和41年ヒットランキング30

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1965年(昭和40年)の日本

【この年の出来事】

 さて、1965年(昭和40年)の日本はどんなことがあったでしょう?

日本は前年の1964年(昭和39年)に「東京オリンピック」を成功させていましたが、国際的には不穏な時期でした。

この年アメリカがベトナム戦争の進捗に業を煮やし、2月から「北爆」を開始したためベトナム戦争がさらなる激化を見せた年でもあります。

日本では1965年(昭和40年)1月に日本航空が海外団体旅行用の「ジャルパック」発売し大人気を博しましたが、国民生活がすっかり豊かになったせいかこの頃から海外旅行が普及し始めています。

さらに学術の分野では、朝永振一郎にノーベル物理学賞が授与され、日本中が湧きました。

ファッション分野では、「アイビールック」が若者に大流行し、中でも特定のブランドが好まれ「VANルック」「JUNルック」が一世を風靡します。

これらの「流行り」を見ても、この時代に日本が全国規模の変化を遂げつつあったことがよくわかりますが、音楽の世界でもそれを反映してか、ヒットソングには30年代の古風さと、それとはセンスの違う40年代の息吹を感じる曲が混在して興味深いです。

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【テレビ番組】

ドラマでは、「大河ドラマ 大閤記」「連続テレビ小説 たまゆら」「素浪人 月影兵庫」「人形佐七捕物帳」「ザ・ガードマン」「青春とは何だ」「ペイトンプレイス物語」「0011ナポレオン・ソロ」「FBIアメリカ連邦警察」など。

バラエティ番組や教養番組では、「踊って歌って大合戦」「おかあさんの勉強室」「小川宏ショー」「エド・サリバンショー」「11PM」が有名でしょうか。

この頃のテレビでは「プロレス」が空前の人気となり、「プロレス中継」は視聴率「51.2%」にもなったそうです。

子供番組やアニメ番組では、「おはよう!こどもショー」「オバケのQ太郎」「ジャングル大帝」などがありました。

「おはよう!こどもショー」は、初の「子供向けワイドショー」としてスタートし、1980年(昭和55年)まで続く長寿番組となっています。

中でも、コーナードラマとして特撮モノやアニメを放送し、それが結構好きだった記憶があります。

コーナードラマは、特撮モノでは「レッドマン」「行け!ゴッドマン」「行け!グリーンマン」など、アニメでは「スーパースリー」「ウッドペッカー」「トッポ・ジージョ」などがありました。

「ジャングル大帝」は、日本最初の「カラー・テレビアニメ」という記念碑的作品になり、ちょうどこの頃「カラーテレビ」の普及も本格化し始めました。

昔懐かしい大村崑の「オロナミンC(大塚製薬)」のCMもこのころからのもので、テレビCMや看板・ポスターなどのPRが大成功しこの年のヒット商品になっています。

【懐かしいCM(1965)】⇒

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【封切映画】

この年の日本映画では、「海の若大将」「エレキの若大将」

「日本一のゴマすり男」「大冒険」

「社長忍法帖」「続 社長忍法帖」「喜劇 駅前医院」「喜劇 駅前金融」「喜劇 駅前大学」「狸の大将」「あんま太平記」

「姿三四郎」「あの娘と僕」「紅壺」

「飢餓海峡」「花実のない森」「霧の旗」「香港の白い薔薇」「けものみち」「100発100中」

「勇者のみ」「太平洋奇跡の作戦 キスカ」「戦場にながれる歌」「東京オリンピック」

「赤ひげ」「侍」「四谷怪談」などの作品が上映されました。

劇場用アニメや子供向け映画では、「まんが大行進」「ガリバーの宇宙旅行」「狼少年ケン おく病なライオン」「少年忍者風のフジ丸 まぼろし魔術団」「フランケンシュタイン対地底怪獣」「怪獣大戦争」など。

「まんが大行進」は、のちの「東映まんがまつり」ですが、前年の1964年(昭和39年)7月に第1回の上映を行い好評を博したことから、子供向け映画を数本まとめて劇場公開していくスタイルが定着します。

子供たちの「春休み」「夏休み」「冬休み」の時期にあわせて「3月」「7月」「12月」に上映するカタチが、この年1965年(昭和40年)にはすでに出来上がっています。

「東映」のライバル「東宝」が「東宝チャンピオンまつり」の興行を始めるのは、1969年(昭和44年)からのことになります。

「東映」と「東宝」の、この2つの映画興行は「子供向け映画」の代名詞となり、子供たちの心を、まさに「わしづかみ」することになったと言えるかもしれません。

日本で公開された洋画は、「長く熱い夜」「8 1/2」「赤い砂漠」「夜霧のしのび逢い」

「シンシナティ・キッド」「大爆走」「野望の系列」

「007ゴールドフィンガー」「007サンダーボール作戦」

「ダンディー少佐」「シェナンドー河」「エルダー兄弟」

「サウンド・オブ・ミュージック」「メリー・ポピンズ」

「ジンギス・カン」「偉大な生涯の物語」「革命の河」「鬼戦車T-34」などがありました。

【1966年ヒット曲】昭和41年ヒットランキング30

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■年間ランキング ベスト30

■年間1位~10位

1【柔/美空ひばり】
2【函館の女/北島三郎】
3【涙の連絡船/都はるみ】
4【学生時代/ペギー葉山】
5【涙くんさよなら/坂本九】
6【兄弟仁義/北島三郎】
7【さよならはダンスの後に/倍賞千恵子】
8【二人の世界/石原裕次郎】
9【愛して愛して愛しちゃったのよ/田代美代子,和田弘とマヒナスターズ】
10【サン・トワ・マミー/越路吹雪】

■年間11位~20位

11【ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー/越路吹雪】
12【女心の唄/バーブ佐竹】
13【ノーチェ デ・東京/金井克子】
14【女ひとり/デューク・エイセス】
15【恋に拍手を/こまどり姉妹】
16【おしゃべりな真珠/伊東ゆかり】
17【星娘/西郷輝彦】
18【北国の街/舟木一夫】
19【アイドルを探せ/中尾ミエ】
20【ゴマスリ行進曲/植木等】

■年間21位~30位

21【ろくでなし/越路吹雪】
22【帰ろかな/北島三郎】
23【網走番外地/高倉健】
24【新聞少年/山田太郎】
25【ヨイトマケの唄/丸山明宏】
26【夏の日の想い出/日野てる子】
27【ごめんネ・・・ジロー/奥村チヨ】
28【明日は咲こう花咲こう/吉永小百合,三田明】
29【赤いグラス/アイ・ジョージ,志摩ちなみ】
30【下町育ち/笹みどり】

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■この年の注目曲

■【邦楽】ピックアップ

■アーカイブ 1~30

【ラストダンスは私に/越路吹雪】
【ウナセラディ東京/和田弘とマヒナスターズ】
【悲しき願い/尾藤イサオ】
【女の意地/西田佐知子】
【赤坂の夜は更けて/西田佐知子】

【チキン・オブ・ザ・シー/ジャニーズ】
【まつのき小唄/二宮ゆき子】
【くやしいじゃないの/森山加代子】
【私を愛して/奥村チヨ】
【アンジェリータ/ダーク・ダックス】

【朝日のあたる家/ダニー飯田とパラダイスキング】
【恋する瞳/伊東ゆかり】
【スエーデンの城/岸洋子】
【君に涙とほほえみを/布施明】
【知りたくないの/菅原洋一】

【ナポリは恋人/弘田三枝子】
【砂に消えた涙/弘田三枝子】
【夢みるシャンソン人形/弘田三枝子】

■【洋楽】ピックアップ

■アーカイブ 1~30

【アンチェインド・メロディ/ライチャス・ブラザーズ】
【夢見るシャンソン人形/フランス・ギャル】
【ビタースウィート・サンバ/ハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラス】
【イエスタデイ/ザ・ビートルズ】
【ヘルプ!/ザ・ビートルズ】

【サティスファクション/ローリング・ストーンズ】
【カリフォルニア・ガールズ/ビーチ・ボーイズ】

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