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 1970年代は日本のアイドルの黎明期で、大雑把に言えば天地真理・南沙織・小柳ルミ子などに始まり、花の中三トリオ(森昌子・桜田淳子・山口百恵)・キャンディーズ・ピンクレディなどを経て山口百恵の引退で終わりを迎えます。

ここでは、そんな時代を振り返ってみることにしましょう。

前回はキャンディーズ結成からヒットを連発し始めるころまでを追っていきました。

そして、彼女たちはナチュラルに前代未聞のことをやってしまい、なおかつ最終的にはそれを大成功に導きます。

今回の記事では、突然の解散宣言から解散後のキャンディーズまでを追ってみます。

 解散宣言が与えた衝撃!~主張するアイドルの走り

 順調にヒットを重ねて人気絶頂になりつつあった1977年の夏に、キャンディーズは突然解散を宣言します。

突然の解散宣言は、キャンディーズの3人にとって思いもよらぬ方向へ転がっていきます。

この無作為の作為が結果的に大成功したことによって、キャンディーズは「昔人気があった人たち」で終わらずに、現代まで人々の記憶に残る伝説的なアイドル・グループになりました。

解散宣言は、まさにその瞬間であったと言えそうです。

 突然の解散宣言

7月17日の日比谷野外音楽堂のコンサートのエンディングで、突然3人は涙を流しながら、「私たち、皆さんに、謝らなければならない事があります!」(ラン)、「ごめんなさい!」(ミキ)、「許してください!」(スー)と、それぞれがファンに対して涙ながらに謝罪し、それから「私たち、今度の9月で解散します」と宣言したため、会場内は騒然となりました。

この解散宣言は、レコード会社にも事務所にも、どこにも相談などはされておらず、彼女たち3人のまったくの独断で発表されました。

この当時は、アイドルはある意味でレコード会社の人形的な存在であり、無断で解散宣言などをするのはありえませんでしたが、彼女たちはそれをあっさりとやってのけました。

別に狙ってやったわけではなく、素直な気持ちだったんでしょう。

【暑中お見舞い申し上げます/キャンディーズ】<YouTube>

 解散宣言のワケ

当時キャンディーズの人気はのぼり調子で、スケジュールも過密になってきており、精神的にも肉体的にもだんだん追い詰められてきていたようです。

また、彼女たち自身が結成当初から「3年間は個人を捨てて、キャンディーズに賭けよう!がむしゃらにやろう!」と決めていたと言われており、デビューから3年たったとき「ファンのためにもう1年がんばろう」と思い、解散を先に延ばしたという経緯がありました。

1973年(昭和48年)9月「あなたに夢中」でレコードデビューしてから、もうすぐ4年目を迎えようという時期の解散宣言でした。

3人は、解散宣言をしたときには9月末限りで解散するという意思を固めていましたが、事前に所属事務所の正式な了解を得ずに独断で解散を発表したということもあり、事務所の説得に応じて、解散は半年間だけ先送りされることになりました。

【哀愁のシンフォニー/キャンディーズ】<YouTube>

 解散宣言でさらに人気者に!

この電撃的な解散宣言からキャンディーズの人気は全国的に沸騰し、さらに急上昇します。

この解散宣言のときにランが絶叫した「普通の女の子に戻りたい!」というセリフは、当時流行語になりました。

キャンディーズ以後は主張するアイドルはたくさん例がありますが、そのさきがけとなり、成功例にもなったのはキャンディーズであると言えます。

おそらくキャンディーズが先例になったのでしょうが、それからしばらくした1980年の3月、山口百恵が人気絶頂のなか結婚と引退を発表しています。

【夏が来た!/キャンディーズ】<YouTube>

 ファンと一体となって作り上げた解散という花道!

 キャンディーズは解散を宣言することによって、さらにその人気を盛り上げたと言えますが、このような解散の仕方をしたアイドルグループはこれ以前にはなく、これ以後もないのではないのでしょうか。

 事実上のラストシングルで初めての1位

 キャンディーズは、それまで発表したシングルが1位を獲得したことが一度もなかったので、ファンや関係するスタッフが解散までには1位を獲得させたいと、必死の後押しをしました。

ファンやスタッフの寝食をわすれたサポートの甲斐あって、ラストシングル「微笑がえし」は初めての1位を獲得します。

まさに一丸となって勝ち得た貴重な1位でした。そして、その勢いのままに、伝説の解散コンサートを迎えます。

【微笑みがえし/キャンディーズ】<YouTube>

 伝説の解散コンサート

 1978年(昭和53年)4月4日、当時は空前の観客数であった5万5千人を後楽園球場に集め、お別れコンサートとしては「ザ・ピーナッツ さよなら公演」以来2例目となる、キャンディーズ「ファイナルカーニバル」が行われました。

後楽園球場でコンサートを開いたのは、女性の歌手グループでは、キャンディーズが最初です。

このコンサートは4月7日にTBS系列で全国にテレビ放映され、関東地区で平均視聴率32.3%という、単独のアーティストによる音楽番組としては歴代1位の高視聴率を獲得しています。

当時小学生だった私もそれをテレビで見ていた記憶があります。

コンサートの最後にランがファンに向かって言った「本当に私たちは幸せでした!」という言葉も有名になりました。

【キャンディーズ解散コンサート】<YouTube>

 キャンディーズとは何だったのか?

 こうして、キャンディ-ズはわずか4年半の活動に幕を引きました。

「キャンディーズ」とは本来はラン・スー・ミキの3人で構成するグループアイドルの名前ですが、これに3人を支えたスタッフや全国のキャンディーズファンが一体となった大きなムーブメントそのものが「キャンディーズ」だったとも言われています。

 普通の女の子にはもどれなかった?その後のラン、スー、ミキ

 そうまでして、引退した3人でしたが、しばらくして3人とも別々に芸能界に復帰しています。

しかし、キャンディーズ復活を求める声は絶えずありましたが、どんなに水を向けられても、3人は決してキャンディーズ再結成だけはしませんでした。

 ランの場合

 ランは、1980年(昭和55年)に復帰し、俳優・歌手の水谷豊と1989年(平成元年)に結婚しました。

キャンディーズ解散以後は歌の道には進まず、女優として成功をおさめ、現在は女優・ナレーターなどで活動しています。

復帰会見ではレポーターに大分いじめられてましたね。承知の上で復帰したんだろうけど、ちょっとかわいそうでした。

その後、順調に女優としての実績を重ねています。

今だから思いますが、歌手に戻らなかったのは一種のケジメだったのかもしれません。

2013年(平成25年)8月公開の妹尾河童の長編小説「少年H」の映画版で、夫の水谷豊とテレビドラマ「事件記者チャボ!」以来28年ぶりに共演し、夫婦役を演じて話題になりました。

この映画は、第35回モスクワ国際映画祭のGALA(ガーラ)部門で特別作品賞を受賞しました。

一人娘の趣里(しゅり)も、女優をしているみたいです。

初めて写真を見たとき「(ランちゃんに)そっくり・・・」と声に出してしまいました。

 スーの場合

 スーは、1980年(昭和55年)に復帰して、やはり女優として活動しました。

一時期ソロ歌手として、音楽活動も行いシングルをリリースしています。

1989年(平成元年)公開の「黒い雨」で、主役を演じ、日本アカデミー賞・ブルーリボン賞・報知映画賞・毎日映画コンクール・キネマ旬報賞などで主演女優賞を受賞しました。

1991年(平成3年)に夏目雅子の兄と結婚。

結婚翌年の1992年(平成4年)に乳がんが発見され、長い闘病の末2011年(平成23年)4月21日に55歳で乳がんのため他界しました。

危篤になったとき、親族の計らいでランもミキも病室に通されて、亡くなるまで枕元で7時間も名前を呼び続けたそうです。

葬儀には私も一般弔問客として青山に参列させていただきました。ご冥福をお祈りします。

病床で録音した肉声が葬儀の最後に流されましたが、自分自身が死の床にあるのにもかかわらず、東日本大震災で被災した方々の心配をしていましたね。

とてもやさしい人柄だったのが偲ばれます。

亡くなってから大分たちますが、いまだに人気があり、今でも公式ホームページは運営されているようです。

 ミキの場合

 ミキは、1983年(昭和58年)にソロ歌手として短期間だけ復帰します。

カネボウの春のキャンペーンソングとして「夢・恋・人」を発表し、見事「ザ・トップテン」で10位にランクインして、ブランクを感じさせずヒットソングをとばしました。

【夢・恋・人/藤村美樹】<YouTube>

その後まもなく結婚して以来、芸能界の表舞台には一度も出ていません。

3人のお子さん(1男2女)がおり、長女の尾身美詞(おみみのり)が舞台女優として芸能活動をしているようですね。

ほかの2人のお子さんも演劇に関わっているようです。

2011年4月25日にスーの葬儀に出席し、久しぶりに公の場に姿を見せました。

このとき私も、遠くからですが、ランといっしょに青山葬儀場に入ってくるのがみえました。

生涯の友を亡くし、かなりご心痛なようすが見てとれ、立っているのもつらそうな感じが伝わってきました。

この葬儀で、ランとミキはそれぞれ思いのこもった弔辞を読みあげています。

彼女たち3人にとってもまた、キャンディーズがどれほど大切なものだったのかということの答えが、その弔辞の中にあります。

 キャンディーズの全シングル

 キャンディーズのシングルは全部で18枚(解散後発売された「つばさ」を含む)です。そのなかでベストテン以上のヒットソングが8枚あります(オリコンチャートによる)。

実質上のラストシングルになった「微笑がえし」で1位をとっていますが、1位になったのはこの1枚のみです。

当時を思い返してみると、キャンディーズの顔を見ない日はなかったような気がしていて、もっと売れていた印象があったんですけどね。

「ハートのエースが出てこない」や「哀愁のシンフォニー」がベストテンには入っていないというのは、ちょっと意外でした。

 シングル・ディスコグラフィー

  1)あなたに夢中         36位  センター:スー  1973年 9月 1日

  2)そよ風のくちづけ       39位  センター:スー  1974年 1月21日

  3)危い土曜日          46位  センター:スー  1974年 4月21日  

  4)なみだの季節         40位  センター:スー  1974年 9月21日

  5)年下の男の子          9位  センター:ラン  1975年 2月21日  

  6)内気なあいつ         18位  センター:ラン  1975年 6月 1日

  7)その気にさせないで      17位  センター:ラン  1975年 9月 1日

  8)ハートのエースが出てこない  11位  センター:ラン  1975年12月 5日

  9)春一番             3位  センター:ラン  1976年 3月 1日  

  10)夏が来た!           5位  センター:ラン  1976年 5月31日  

  11)ハート泥棒          17位  センター:ラン  1976年 9月 1日

  12)哀愁のシンフォニー      12位  センター:ラン  1976年11月21日

  13)やさしい悪魔          4位  センター:ラン  1977年 3月 1日

  14)暑中お見舞い申し上げます    5位  センター:ラン  1977年 6月21日

     <突然の解散宣言>

  15)アン・ドゥ・トロワ       7位  センター:ラン  1977年 9月21日

  16)わな              3位  センター:ミキ  1977年12月 5日

  17)微笑がえし           1位  センター:交互  1978年 2月25日

     <解散コンサート 『ファイナル・カーニバル』>

  18)つばさ            16位  センター:ラン  1978年11月21日

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