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 キャンディーズは解散からすでに40年近くもたっていますが、ベスト盤などのCD・DVDなどがいまだに発売され完売するほどの人気があります。

まだ日本のアイドル黎明期であったこともあり、キャンディーズはさまざまな実験的試みを成功させたため、現代のグループ系アイドルの源流として位置づけられていきます。

日本人が初めて体験するアイドルの時代は、当事者である彼女たちだけでなく、日本の芸能界もとってもまた手探りの時代だったと言えます。

古き良き時代だったと言えるかもしれません。

今回は1970年代という時代を代表するアイドル「キャンディーズ」の結成からお茶の間の人気者になるまでを見ていきましょう。

 70年代中期の代表的アイドル

 レコードデビューは1973年(昭和48年)であり、伊藤蘭(「ラン」デビュー時18歳、解散時23歳)、田中好子(「スー」デビュー時17歳、解散時22歳)、藤村美樹(「ミキ」デビュー時17歳、解散時22歳)がメンバーです。

3人とも仲がよく、解散までメンバーチェンジなどはしていません。

70年代のアイドル・グループとしては、最も成功したと言ってもいいのではないでしょうか。

キャンディーズという成功体験は、その後のアイドルの展開にも重大な影響を持ち、日本の芸能界にとっても貴重な宝となったと言えそうです。

 キャンディーズのデビュー

キャンディーズという名前は、 デビュー前の1972年(昭和47年)4月に、NHKの新番組「歌謡グランドショー」のマスコットガールとして3人揃って抜擢されたときに生まれました。

その番組のプロデューサーから「食べてしまいたいほどかわいい女の子たち」という意味で「キャンディーズ」と名付けられたと言われています。

デビューからしばらくはヒット曲はありませんでしたが、1975年(昭和50年)に発売した5枚目のシングル「年下の男の子」で初のオリコンベストテン入りを果たします。

以降、「ハートのエースが出てこない」「春一番」「暑中お見舞い申し上げます」などのヒットを立て続けにとばし、70年代中期を代表するアイドルとなりました。

【年下の男の子/キャンディーズ】<YouTube>

 アイドルの時代の始まり

現代的な意味でのアイドルの成立は1971年の天地真理や小柳ルミ子、南沙織などのデビューのときとされています。

特に天地真理の人気はすさまじく、テレビで天地真理の顔を見ない日はなく、街中で歌がながれて、レコードや関連グッズも飛ぶように売れました。

私は当時小学校低学年でしたが、天地真理の歌や映像をなんとなくですが記憶していますし、自宅にはいくつか自転車などの「真理ちゃんグッズ」があったように覚えています。

 女性アイドル・グループの源流

キャンディーズは、それらの女性アイドルのあり方や流れを「女性グループアイドル」という枠に押し広げたという言い方ができるかもしれません。

キャンディーズもまた、たくさんの音源や映像が日本中にながされ、数多くの関連グッズが大人気になりました。いまではお宝とされたり、プレミアが付くものもあるようですね。

こうして、現在の女性グループアイドルのあり方や手法にも通ずる、系譜の原点にキャンディーズは位置することになっていきます。

【ハートのエースが出てこない/キャンディーズ】<YouTube>

 誰がセンターをとっても歌えた!確かな歌唱力とコーラス

 キャンディーズの3人は、誰がセンターをとっても歌うことができました。

デビューからしばらくはスーがセンターであり、「年下の男の子」以降はランがセンターをとることが大半になります。

ミキは1曲しかありませんが「わな」でセンターをつとめており、オリコン3位の大ヒットとなりました。

【わな/キャンディーズ】<YouTube>

 グループで歌うことの意味を変えた?

 事実上のラストシングルである「微笑がえし」では、センターを3人が交互にとることを振付におり込んで歌っています。

歌の最中にボーカルが入れ替わるのは、それまで見たこともなかったと思います。

今ではモーニング娘やAKBなど、そういうことをするアイドル・グループも普通にありますが、キャンディーズ以前はメインボーカルが固定されているのが不文律であり絶対であるとされた時代でもありました。

「ザ・ピーナッツ」などがいい例ですが、コーラスのように複数で同時に歌うことはあっても、メインボーカルがころころ入れ替わるというグループ歌手はいませんでした。

のちにおニャン子クラブなどに受け継がれ、モーニング娘やAKBに至る「誰がセンターをとるか」というグループアイドルの重要な要素の1つは、キャンディーズに源流があると言えます。

 現代のアイドルグループにつながる

 また、ランが赤色、スーが青色、ミキが黄色とイメージカラーが決まっていました。

このイメージカラーを決めてそれを常時身に着けることで、ともすればグループの中に埋没してしまうのをうまく避ける工夫をしたのも、キャンディーズが最初です。

もう1つ言えば、伊藤蘭、田中好子、藤村美樹ではなく、ラン、スー、ミキと、覚えやすく呼びやすいニックネームを公式プロフィールに使用したアイドルもキャンディーズがパイオニアと言え、これ以後のアイドルグル-プはそれが標準になっていきます。

このあたりは、今でいえば「ももいろクローバーZ」などが顕著に受け継いでいますね。

キャンディーズのラストコンサートの始まりのときに、ラン、スー、ミキがそれぞれ短いコメントを添えて自己紹介をし、「3人合わせて、キャンディ-ズですっ!」と言ってポーズをとっていますが、「ももクロ」が全く同じことをしてますよね。

キャンディーズの残したものは、現在のアイドルたちにもしっかり受け継がれているようです。

【春一番/キャンディーズ】<YouTube>

 ラン派、スー派、ミキ派、誰が一番好き?

 キャンディーズは異なる個性を持つ3人がそれぞれ魅力を引き出しあい、見ているものを飽きさせませんでした。

当時、私は小学校高学年でしたが、小学校ではラン派、スー派、ミキ派に分かれ、誰が一番いいのかということが話題にのぼったりしていました。

 3人のうち1人でも好きならファンである!

ランちゃんは一番幅広く人気がありましたが、少し大人びた人たちからの支持が多かったように思います。

スーちゃんは子供からの人気が絶大であり、ミキちゃんは少し個性派の人たちから好まれていたようです。

大人っぽい美人のおねえさんであったラン、マイペースでおっとりした親しみやすさを持つスー、知的で繊細な印象ながらも元気いっぱいのミキという3人の個性の混ざり具合が絶妙で、それがキャンディーズを幅広い層の人たちに受け入れさせた理由だったでしょう。

そのため、どんな人でも「好み」がラン・スー・ミキのタイプのどれかに当てはまることになり、3人がそれぞれ獲得したファンが合わさってキャンディーズ・ファンのかたまりに加わり、それがグループ全体の人気をさらに押し上げていきました。

つまり、ファンが入れる入り口が「キャンディーズ」というグループ全体からの入口のほかに、ラン・スー・ミキという個々のメンバーからの入口もあり、それだけ入口の数や間口が広がってファンが入りこみやすくなっていたということです。

のちに、ファンが望む「好み」が細分化され、より意識してシステム化されていったのが、「おニャン子クラブ」「モーニング娘」「AKB48」などのアイドルの流れであったとも言えます。

【キャンディーズのなつかしいCM】<YouTube>

 「推しメン」の原点に!

イメージカラーやニックネームなどで、子供でも分かるように3人の区別をしやすくしたことも、グループとしてのまとまりと同時に、個性を可視化するのに役立ちました。

これは単にテレビやコンサートで3人を区別しやすくするだけでなく、私は3人のうちでこのコがいいという議論をしやすくする素地を作り出したと言えます。

この「誰が一番いいのか」をファン同士が語り合い、グループとして応援しながらも、自分の好きな人を押していくというスタイルは、現在ではAKBなどが有名になっています。

しかし実は、グループアイドルとして重要なその要素も、キャンディーズがもとネタになっていると言えます。

もしキャンディーズがいなければ、その後のアイドルたちの展開や「ありよう」は、今とは違ったものになっていたかもしれません。

 バラエティ番組で大人気!お茶の間の心をわしづかみ!

 キャンディーズはバラエティ番組にも積極的に出演し、大勢のコメディアンたちの向こうを張って渡り合い、お茶の間の心をわしづかみにしました。

キャンディーズが出演していた「8時だョ!全員集合」や「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」などは私の大好きな番組で、毎回テレビにかじりついて見ていました。

「電線音頭」は今でも踊れます。

【みごろ!たべごろ!笑いごろ!】<YouTube>

 バラエティの素質あり過ぎ!

バラエティの素質は3人とも相当あったようで、のちにドリフターズや伊東四朗などはそれぞれインタビューの中でキャンディーズを絶賛しています。

当時のアイドルはどちらかと言えばお人形のようなもので、ただニコニコしているだけだったり、「やだぁー」とか言って恥ずかしそうにしているだけの人たちが多かったと言います。

ましてや、ドリフターズなど一流コメディアンと同じレベルで積極的にお笑いにからんで、笑いをとりにくるようなアイドルは皆無でした。

キャンディーズが出演したコントは、今見てもけっこうオモシロイと思いますよ!

【ドリフ大爆笑】<YouTube>

 バラドルとしてもパイオニア

現在では、バラエティに積極的なアイドルもたくさんいますが、この点から見ても、キャンディーズがパイオニアだったと言えそうです。

80年代に入ると、お笑いにアイドルが積極的にからんでいくようになりますが、キャンディーズがいなければ、その流れも変わっていたかもしれません。

歌だけを歌っていたのではないというところも、キャンディーズがいまだに多くの人に魅力的に感じられている理由でしょう。

【8時だョ!全員集合】<YouTube>

 ニューミュージック系のアーティストがアイドルの曲を手掛ける!

 キャンディーズのヒット曲「やさしい悪魔」や「アン・ドゥ・トロワ」を作曲したのは、吉田拓郎でした。

吉田拓郎はニューミュージック系のパイオニア的なミュージシャンで、彼がいなければ現在のJ‐POPは違ったものになっていたとも言われる人です。

 アイドルの歌唱力評価を変える!

ニューミュージックというのは、簡単に言えばフォークソングとロックの融合したもので、さらにニューミュージックと歌謡曲が融合して現在のJ‐POPに至ります。

すでにシンガーソングライターとして成功をおさめていた彼が、アイドルグループの曲を作ったことは、実はけっこう重要な事件でした。

アイドルというのは、70年代当時は一般的に「かわいいだけの存在」と思われており、いくら歌がうまくても、歌い手としての評価は低くなりがちでした。

作詞作曲も職業作家が手掛けるのが普通で、ほかのジャンルのミュージシャンやシンガーソングライターに曲を書いてもらうことは、当時のアイドルではあまり例がありませんでしたが、キャンディーズがそれを成功させ、ヒットをとばします。

【アン・ドゥ・トロワ/キャンディーズ】<YouTube>

 ジャンルを超えたアイドルへの楽曲提供が活発化

それに触発されて、山口百恵が宇崎竜童に「横須賀ストーリー」「プレイバックpart2」などの曲を作ってもらったり、松任谷由美や中島みゆきなどがアイドルに楽曲を提供していく流れができます。

特に80年代に入ると、ニューミュージック系やフュージョン系のミュージシャンがアイドルに多くの楽曲を提供し、松田聖子や中森明菜などの巨大な成功者が生まれてきます。

現在ではジャンルの垣根を越えた楽曲の提供はごく普通のことになりましたが、この点から見てもキャンディーズは非常に重要な位置にいるようです。

【やさしい悪魔/キャンディーズ】<YouTube>

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